第3章 君の知らない名前
「……いや、なんでもねぇ。夜道が暗い、気をつけて戻れ」
「はい。夜分に失礼いたしました」
彼女は再び立ち上がり、綺麗に右拳を胸に当てて敬礼をした。
「失礼します」
そう言って扉を開け、部屋を出ていく。
残された二つのカップ。
片方は、彼女が緊張のせいで半分も口をつけなかった紅茶が、寂しく湯気を立てていた。
リヴァイは、彼女が座っていた場所を見つめながら、自嘲気味に口元を歪める。
全てを忘れて、怯えのない綺麗な目で自分を見る部下。
かつて、自分がその手を引いて、泥沼の戦場と、それ以上の深い愛へと引きずり込んだ少女だ。
「……忘れたなら、好都合だ。お前をもう一度、死地へ向かう俺の足枷にしなくて済む」
独り言は、静かな部屋に虚しく消えた。
だが、リヴァイはローテーブルの上の、冷めかけたカップを見つめ直す。
その瞳の奥には、冷徹な諦めを凌駕するほどの、静かで強固な執着が灯り始めていた。
忘れたなら、また叩き込むだけだ。
今度は上官として、そしていずれは――もう一度、一人の男として。