第3章 君の知らない名前
「――以上で、本日の厩舎の報告を終わります。リヴァイ兵長」
とん、と小気味いい音が執務室に響いた。
俺の目の前で、彼女が完璧な角度で右拳を左胸へと当てる。「心臓を捧げよ」の敬礼だ。
数日前、壁外調査での頭部負傷から目覚めた彼女は、驚くほど普通だった。
エレンたち同期を見れば相変わらずの笑顔を浮かべ、ハンジに絡まれれば楽しそうに悲鳴を上げる。
ただ――俺に関する記憶の全てだけが、綺麗さっぱり抜け落ちていた。
「……あぁ、苦労だったな。もう戻っていい」
努めていつも通りの声を絞り出す。彼女は「失礼します」と頭を下げ、一度も後ろを振り返ることなく部屋を出て行った。
パタンと閉まった扉を見つめながら、俺は深く背もたれに体重を預ける。
つい一週間前まで、彼女はこの部屋の鍵を自分で開けて入ってきた。
お茶を淹れれば「リヴァイ、今日のはちょっと熱い」と、兵長なんて肩書きを忘れた顔で笑っていたのだ。
その全てが、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っていた。