第9章 【伏黒恵】君に響くカンパニュラ II **
倒れ込む姑獲鳥へ視線を向け、恵くんの手から、そっと自分の手首を引き抜いた。
今度は、恵くんも止めなかった。
一歩、また一歩と姑獲鳥へ歩み寄る。
近くで見るその姿は、やっぱり恐ろしい異形だった。
まだ五条先生が言っていたことが、信じられない。
姑獲鳥の前に膝をつくと、その濁った瞳が大きく揺れた。
目尻から、黒い雫がぽろぽろとこぼれ落ちる。
『……声……出しタら、ダメ……』
かすれた声が、途切れ途切れに紡がれる。
『誰かヲ、呼んダら……ソノ人ヲ、愛しテしまっタら……ッ』
「…………」
『いっしょニ、いたら……いつか、裏切ラレル……! が、傷ツク……! ワタシみたいに、泣く……ッ!』
姑獲鳥の翼が黒い塵になって崩れ始めていく。
もう形を保っていられないんだ。
なのに、姑獲鳥は自分が消えかけていることよりも、私のことばかり心配している。
『だかラ……お母さんガ、ぜんぶ遠ざけテあげル……一生、守っテあげルカラ……』
ああ、そうか。
『その声で誰かを呼べば、いちばん大切なものを食べる』
あれは、私を苦しめるための呪いじゃなかったんだ。
自分が裏切られて、絶望したまま死んでしまったから。
私には、同じ思いをしてほしくなくて。
誰とも関わらせず、誰も愛せないようにして、あの巣の中で永遠に守ろうとしていたんだ。
「……あなたが、どんなふうに裏切られたのか、私にはわからない。でも……それは、間違ってるよ。傷つくこともあるけど……だからって、誰のことも好きになっちゃいけないなんて、おかしいよ」
姑獲鳥は何か言いかけたが、口を閉じた。
「私、あの巣を出てから、たくさんの人に出会ったの。怖いことも、悲しいこともあったけど……嬉しいこと、楽しいことだって、いっぱいあったよ」
真っ先に恵くんの顔が浮かんだ。
いつも私の隣にいてくれた人。
声が出せなくても、私の気持ちをわかろうとしてくれた人。
恵くんを失うくらいなら、声なんて出せなくてもいい。
ずっと、そう思っていた。
でも。
恵くんに出会わなければよかったなんて、一度も思ったことはない。