第1章 霧の屋敷の黒い旋律
ガチャリ。
ドアが乱暴に開け放たれた。
「どういうつもり?」
イルミが立っていた。
肩のラインまで伸びた黒髪を大きな掌で掻き上げて、表情はほとんど変わらないまま、目尻を細めて見下ろされる。
汗が額に浮いている以外は、いつもの冷たい無感情さが保たれていた。
声は低く、抑揚をほとんど感じさせない、しかし確かな苛立ちを帯びていた。
ニナはびくりと肩を震わせ、慌てて頭を下げた。
「イルミ様……申し訳ありません。
あの、せ、旋律が……とても美しかったので、無意識に……歌ってしまって……」
「……それを?」
イルミの唇が、わずかに弧を描いた。
次の瞬間、彼はニナの腕を強引に掴んだ。
冷たく鋭い指が、驚くほど強い力でニナの手首を締め上げる。
「勝手なことをするな」
トレイが傾き、銀のポットとカップが床に落ちて派手な音を立てた。
紅茶が絨毯に飛び散り、菓子が転がる。
イルミは構わずニナを引きずり、部屋の中へ連れ込んだ。
ドアが勢いよく閉まる。
イルミはニナの腕を掴んだまま、長椅子の方へ強引に引き寄せた。
そのまま体を預けるように倒れ込む。
ニナはバランスを崩し、長椅子に押し倒される形になった。
次の瞬間、長身のイルミの体が、そのままニナの膝の上に横たわる。
「……! イルミ様っ……!」
ニナの声が震える。
イルミは、息を押し殺すようにして、ニナの膝に顔を伏せていた。
黒い髪が乱れ、汗ばんだ額が薄いドレスの生地に触れる。
横顔は相変わらずほとんど表情もないのに、疲れ果てたような、どこか渇望を秘めた気配が漂っていた。
「お医者様を……呼んだ方が……」
彼は目を閉じたまま、低く、ほとんど感情のこもらない声で言った。
「……必要ない」
「でも……」
「……歌ってくれる?」
イルミの指先がニナのドレスの裾を軽く握る。
「さっきの続きを……少し、こうさせて……」
部屋の中には、散らばった紅茶の匂いと、イルミの静かな息遣いだけが漂っていた。
そして、そのどちらにも触れないまま、ニナは歌い始めた。