第9章 澱の沈む夜に
小指の付け根に滲んだ赤を見た瞬間、イルミは静かに膝を折り、ニナの手首をそっと掴んだ。
「……っ」
イルミはニナの濡れた指先を目の前へ掲げるようにして眺めた。ワインと血の混じる匂いを確かめるように、ふっと息を落とす。
長い睫毛が落ちる角度、薄灯りの下で浮かび上がる喉のライン、わずかに開いた唇。
まるで意識するつもりもないのに、なぜか目を離せない。
「随分と、こういうことに向いていないみたいだね」
低い声が、冷えたワイン庫の空気へ静かに落ちる。
ニナは返事も出来なかった。
それからイルミは小指の付け根へ視線を落とし傷口の辺りに舌をそっと這わせた。イルミの赤い舌先が、薄く血の混じったワインをそっと掬い取る。
「……!」
ぞくりとニナの背筋を冷たいワインとは別の微かな震えが這い上がった。
「あ、これ高いやつだ」
そのまま傷口のすぐ近くで、イルミが囁くように喋り出す。指先にはまだ熱と湿り気が残っていた。そこへ触れる吐息の感触に、頭の中が真っ白になる。
痛みよりも、わけのわからない熱だけが胸の奥をざわつかせていた。
「………………、……えっ!」
遅れてやってきたイルミの言葉の意味に、ニナの顔からさっと血の気が引いた。
紅色に染まりかけた頬がみるみる青くなる。
その反応を見て、イルミは小さく目を細めた。
「冗談」
「……っ」
イルミはニナの手を解放した。
指の腹が手のひらの内側を優しく滑るようにして離れていく。
ニナは慌てて自分の手を胸に引き寄せた。
傷の痛みはもうほとんど感じていなかった。
ただ、身体の奥で可笑しな、甘い疼くような感覚ばかりが意識に残っていた。
冷えたワイン庫の中。イルミの体温だけがやけに近く感じられ、鼓動が早くなっていくことにニナは怖くなった。