第9章 澱の沈む夜に
食糧庫のすぐ隣に、ワイン庫はあった。
石造りの薄暗い室内には、年代ごとに整理されたワインボトルが壁の棚一面に並んでいる。冷えた空気に葡萄と樽の匂いが微かに混じっていた。
ニナは帳簿で曖昧になっていた銘柄を確認するため、棚の前に置かれた小さな踏み台へ上がる。
「えっと……確か東側の棚に移したのは……」
背伸びをしながら一本ずつラベルを確認し、引き出しては戻していく。だが見慣れないラベルの文字を見比べていく程に、頭の中の情報は絡まっていった。
どれを移したのか。何年物を何本残していたのか。さっきまで分かっていたはずなのに、イルミの音を聞いてから上手く思い出せない。
ニナは段々焦って踏み台から身を乗り出していく。
その時だった。
「二段目の右端。……それ取って」
「……っ!」
突然すぐ背後から声が落ちてきた。
ニナはびくりと肩を跳ねさせ、踏み台の上でバランスを崩す。
「きゃ――っ!」
咄嗟に棚へ手をつく。だがその拍子に抱えていたボトルが腕の中から滑った。片足が空を踏む。
次の瞬間――
バリン
「っ……」
鈍い破裂音に、ニナは床へ倒れ込んだまま息を呑む。手をついたすぐ側に転がる割れた硝子の中から、白く光る透明な液体が床へどくどくと流れ広がった。スカートの裾も袖口も冷えたワインに濡れていく。
「そんなに驚かなくてもいいのに」
視界の先で、黒い革靴がゆっくり近付いてくる。イルミは割れたボトルをひょいと拾い上げると、ラベルを一瞥して近くの簡易台へ置いた。
「……大丈夫?」
「あっ、す、すみません……! すぐ片付けます」
慌てて起き上がろうとしたニナを、イルミは静かに見下ろす。
「そこ危ないから、動かない方がいいと思うけど」
「あ……っ、平気ですっ! ……えっと、何を取るんでしたっけ……」
立ち上がろうとして床へ手をついた瞬間だった。
「――ッ、いた……!」
「だから言ったのに」
小指の側面に鋭い痛みが走る。細かな硝子の欠片が刺さり、ニナの手にじわりと血が滲む。