第5章 不協の兆し
書斎へ向かう廊下を歩きながら、ニナは内心で計算する。
インク壺を洗い、新しいインクを濾して入れるまでどれくらいかかるか。
羽ペンの先をナイフで整え、試し書きをして、余分な紙も用意する……。
少なくとも十五分はかかるだろう。
それから火を再加熱すれば、朝食の時間までに煮えるだろうか。とにかくやるしかないとニナは小走りで急いだ。
書斎に入ると、机の上に置かれたインク壺は確かに空っぽで、底に黒い染みが乾いていた。
ニナは棚から新しいインクの小瓶を取り出し、壺を洗うための水差しを手に取る。
居間に戻ると、イルミはソファに腰掛け、キキョウ夫人と向かい合っていた。
ニナはその姿を見た瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
(……見られたくない)
先日のやり取りが、脳裏に蘇る。
視線を合わせないように、そそくさと厨房へ引き返した。
「それで、次の公演はいつ頃決まるのかしらね?」
「まだはっきりしないけど戦況次第かな。西側の動きが落ち着かない限り、大規模な催しは後ろにずれると思う」
「そう……いつまで続くのかしらね」
「短期では終わらない気配がする。少なくとも今の段階では、日程を確定させるには材料が足りない」
「そう。……近々、宮廷に行く用事があるのよね?」
「うん。依頼の件もあるから、そのついでに探ってくるつもり。直接聞ける相手もいるし」
「軽々しく動くのではないわよ」
「分かってる。必要以上のことはしない」
会話は穏やかに続いている。