第4章 残響に沈む
その夜も、屋敷は深い静けさに包まれていた。
ニナは自室の小さな机に向かい、蝋燭の揺らめく灯りの下で、再び楽譜と向き合っていた。
白い紙の上に並ぶ黒い音符の羅列の意味がわからないまま、ひらすら写しとっていくのは気が遠くなる作業だった。
羽根ペンが紙を滑る音だけが、部屋に響く。
インクの匂いが、夜の冷えた空気に混じって漂う。
音楽が風のように吹き抜ける屋敷の中で、衣服の乱れを整える。
指先で皺を払うその所作すら、ここでは美しさの一部だ。
金銀の燭台を磨き、大理石の床の光を確かめる。ふと映りこむ姿はどこまでも整っていてまるで自分ではない気がする。
キキョウ夫人に叩き込まれた優雅な作法は、いつしか身体に染みついていた。
重厚なタペストリーに囲まれた食卓には、磨き上げられた銀の食器が静かに並ぶ。
その一つ一つが、この屋敷の規律と誇りを語っていた。
美しいものに囲まれ、決められた役割を過不足なく果たす日々。
それはニナの心に、波立たない静かな安定を与えていた。
(ここに来る前は……)