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【H×H イルミ 】黒と白のアリア 

第3章 崩れゆく調律


その夜、二階の奥の部屋に、ニナは呼び出された。

部屋の中央に置かれた艶やかな木製のフォルテピアノを蝋燭の柔らかな橙色の灯りが照らしている。

まるで霧の海に漕ぎ出す船のよう。
足元だけが静かに揺れている気がした。


イルミがすでに鍵盤の前に座っていた。
貴族のサロンにて演奏会でもあったのか、赤い絹のジャケットの裾を椅子から垂らしている。

「ニナ。昨日渡した曲の写譜を見せろ」

ニナはおずおずと、数枚の未完成の楽譜を差し出した。

イルミは一瞥しただけで、淡々と指摘した。

「ここ、拍子がずれているな。装飾音の記号も間違ってる。…………まだ、これだけしかできてないの?」

ニナの肩が小さく縮まる。

「ご、ごめんなさい……夜遅くまでやっていたんですけど……」

「言い訳は聞かない」

イルミの声は低く、感情がほとんどない。

「明日の夜までに完成させろ。それと、この新しい曲も写せ」

新たに渡された楽譜は、さらにページ数が多い。

「……あのっ、私には……」

「なに?」

イルミに睨まれニナは言いかけて飲み込んだ。

(……出来ない)

俯いたまま首を振った。
ニナ自身、何を言おうとしたのかよくわからなくなった。



「それじゃ、歌のレッスンを始める」

「……え?」

ニナの喉が一瞬、詰まった。

家事労働で身体はすでに重く、頭はぼんやりとしている。
それでもイルミに逆らえない。
視線に促されるまま譜面台の前に立った。

「まずは姿勢。肩の力を抜いて、息は深く下に落とすように。楽な感じでいい」

イルミの指が鍵盤に触れる。

その一点の音が意識を貫いた。

「この辺りからいこうか」


奏でられるピアノの音がニナの神経を下腹まで伝う。喉が軽く引っ張られる。疲れ切っているのに勝手に身体が音に反応してしまう。

ニナは深呼吸をして、弱々しい声を細く紡いだ。 

ゆっくりとした長い音
——長く伸ばすスケールから始まった。

「……ぁーー、……ぁーー」

声が掠れる。
音がすぐに落ちてしまう。

声が崩れても、イルミは止めなかった。
ピアノの旋律は優雅に、確実に進んでいく。

「……ぁあーー、……ぁーー」
 
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