第2章 歪んだ共鳴
ある瞬間——
ピアノの音とニナの歌声がふと、噛み合った。
袖の刺繍が、わずかに光を返す。
ピアノは途切れなくなった。
これまでどこかずれていた旋律が、完全に繋がる。
イルミの長い指が駆け出して奏でる妖艶な響きに、ニナの透明な歌が溶け込み、一つの音楽として息づき始めた。
低く濁る響きが、足元から這い上がる。
逃げ場を探す間もなく、音が強引に内側へ入り込んでくる。
喉が、勝手に震える。
声が細く引き伸ばされ、自分のものではないように揺れる。
鋭く歪んだ和音が心臓を掴む。
鼓動が乱れ呼吸の位置がわからなくなる。
それでも音は止まらない。
解決を与えないまま、転がる。
なぞられる。
こじ開けられる。
——引きずり込まれる。
低音と高音、ピアノと声が、抗う隙もなく噛み合っていく。
部屋の中に、危険なほどに美しい旋律が満ちた。
指先が、旋律をなぞりきり、和音に落ちる。
遅れて、細かな音の粒が空間にほどけ、静かに降り積もる。
イルミの指は、寸分の狂いもなく鍵盤を捉えていた。
まるで人形のように、感情を排した正確さで。
——だが。
一瞬だけ、音の繋ぎが歪む。
イルミの眉が、僅かに寄る。
「……成立してる」
間を置かず、イルミは再び指を動かし始めた。
ニナも歌い続ける。
完璧に重なり合う音楽は、確かに美しく、闇の魅力を増していた。
それでもイルミは演奏を止めなかった。
何かを確かめるように、指を滑らせ続けた。
やがて、突然——。
イルミの指が鍵盤から離れた。
音楽が、唐突に途切れる。
彼の吐息がふっと漏れた。
すぐに、いつもの冷たい表情に戻ったが、黒いジャケットの胸元がわずかに上下している。
「……もういい。今日は充分だ」
イルミは立ち上がり、近くのテーブルから数枚の楽譜を取り、ニナの方へ無造作に差し出した。
「これを覚えろ。次はもっと正確に」
「……はい」
ニナは両手で楽譜を受け取り、軽く頭を下げた。
イルミはそれ以上何も言わず、窓の外の濃い霧を見つめていた。
作曲家としての彼は、ようやく自分の曲が「完成」する可能性に気づいていた。
ニナの歌を乗せれば、この曲は本当に完成する——。
しかし、その事に彼はまだ、強い不快さを覚えていた。
「——もう少し、検証が必要なようだ」