白と黒のハーモニー 第二局 【ヒカルの碁・緒方精次】
第26章 ● 敗北の夜 ○
タクシーを降りた星歌は思わず立ちすくむ。テレビや映画でしか見たことのない夜の街が、目の前に広がっている。店のドアを開けると、入口の近くで芦原が待っていた。
「星歌ちゃん!来てくれて助かった!」
「…いつも、こういうお店に来てるんですか?」
「ち、違う違う!絶対違う!星歌ちゃんに似てる子がいるって言われて、緒方さんが酔ってるから着いてっちゃって!」
芦原の必死な否定に、星歌は少しだけホッとした。
店の奥、ソファの隅で緒方は頬を赤く染めて、グラスを握ったままボンヤリとしている。
「緒方さん、星歌ちゃん来たから帰りましょう」
緒方は星歌の姿を認めた瞬間、パッと顔を輝かせた。
「星歌!」
立ち上がろうとしてよろめき、どうにか堪える。
「星歌、来てくれた…。星歌は、オレの恋人だよな」
声とともに漏れる酒の匂い。
「帰ろう、精次さん」
ホステスたちが「え〜、もう帰っちゃうの〜?」と名残惜しそうに手を振る中、3人で店を出た。
3人を乗せたタクシーは、道路を滑るように走る。芦原は後部座席の隅で小さくなっている。隣の星歌に、その奥に座る緒方がぴったりと寄り添っている。
「…星歌」
酔い混じりの声とともに、緒方は星歌の顎を指でそっと掴み、顔を自分の方へ向けた。
「口紅、着けてないのか?」
「…お風呂入っちゃったから」
その答えが、頭の奥で別の映像を呼び起こした。湯上がりの星歌。濡れた髪、ほんのり赤くなった頬。…今、風呂上がりなのか…。首元から漂う、シャンプーと星歌自身の匂い。紅を引いていない唇は、いつもより少しだけ無防備に見えて、胸の奥が熱くなる。顎を掴む指先に、わずかに力が入る。今すぐにでもキスしたい、そんな衝動が迫り上がってくる。だが、芦原が隣にいる。運転手だっている。ここでは無理だ…と、酔いながらも思う。ただ、星歌の気持ちは確かめたかった。
「星歌は、オレの恋人だろ?」
「うん、そうだよ」
星歌の優しい目を見て、緒方は欲望をそっと飲み込んだ。