第44章 おいでとさぼり
父親の身体から力が抜ける
『……おとうさん』
返事がない
『おとうさん?』
紅海は小さな手で、父親の服を掴んだ
『……おとうさん』
何が起きたのか理解できない
自分を抱いてくれていた腕が、もう動かない
そのことだけが、怖かった
「――紅海!」
駆けつけた浅葱が、紅海を抱き上げた
「紅海……!」
『……おばあちゃん?』
紅海は浅葱の顔を見る
その後ろから、千草も駆けてくる
そして、大きな呪霊を祓う
「……くそ…」
千草の視線が、倒れている男へ向く
姉を亡くし…そして今度は、義兄まで
千草の拳が震える
「紅海」
浅葱が、ぎゅっと抱きしめる
「大丈夫だよ」
『……おとうさん』
「……うん」
『起きないよ?』
浅葱は答えられなかった
代わりに、紅海の髪を撫でる
「……もう、帰ってこないんだ」
その言葉の意味を、紅海は理解できなかった
『…?』
浅葱の声が少し震える。
「これからは、おばあちゃんと一緒に暮らそう」
『……』
「私のところに来なさい」
紅海は浅葱の顔を見つめる
知らない家に?お父さんは?
何も分からない
だから紅海は、ただ小さく浅葱の服を握る
でも、わがままを言ってはいけないと思った
『……うん』
その手を見て、浅葱は紅海を抱き直した
「そうかい」
そして千草を見る
「千草」
「……ああ」
「この子は、私が育てるよ」
千草は黙って頷いた
「うん…」
「だがね、この子に、呪術師になれなんて言わない」
「……」
「この子が普通の女の子として生きたいと言うなら、私はそれを尊重する」
浅葱は紅海の小さな頭に頬を寄せた
「ただ……」
声が僅かに掠れる
「二度と、この子を一人にはしない」
千草はその言葉を聞き、静かに目を伏せた
「……そうだな」
紅海は二人の話を理解できないまま、浅葱の胸元に顔を埋めた
そこから聞こえる鼓動は、優しい音だった
それだけで、ほんの少しだけ怖くなくなった
――こうして紅海は、浅葱のもとへ引き取られる
もう、自分を抱いてくれる父親はいない
その事実だけが、幼い紅海の中に残った