第3章 薄氷の恋【沖田総司】
千駄ヶ谷の空気は、どこかひんやりと澄んでいた。
京の喧騒とは別世界のように、静かな風が植木の間を通り抜けていく。
労咳を患い、刀を握ることすら叶わなくなった僕は、千駄ヶ谷・植木屋平五郎宅の一室で、人目から遠ざかるように療養していた。
縁側に腰を下ろすと、胸の奥で鈍い痛みが喘ぐ。
浅く息を吸うだけで、肺のどこかが軋む。
咳をひとつこぼせば、すぐに鉄の味が口に広がった。
そんな僕の耳に、そっと足音が近づく。
「総司さん、お薬の時間ですよ」
柔らかな声。
平五郎さんの姪——菫ちゃん。
細く白い指で湯呑を差し出すと、
僕はつい意地になって横目でにらんでしまう。
「どうぞ、さっさと飲めって言えばいいんじゃないの?」
「言いませんよ」
菫ちゃんは、春を告げる花みたいにふわりと笑った。
「今日は機嫌が悪いんですね。ゆっくりでいいので飲んでください」
その穏やかさが、ときどき胸の奥にひりついた。
僕だけが、弱くなっていくみたいで。
湯呑を受け取らず、唇の端をつり上げる。
「……僕より先に死んだら、許さないからね」
「またそんなことを」
「本気だよ。僕より先に死んだら許さないから」
菫ちゃんはゆっくりとかがみこみ、まっすぐに僕の目を見つめ返した。
逃げ場のない優しさで、僕の頑なさを包み込むように。
「置いていきませんよ。私はここにいます、総司さんのそばに」
その瞳に映る自分は、もう剣士ではなかった。
弱って、みっともなくて、でも——まだ誰かに必要とされていた。
菫ちゃんの言葉に、僕は思わず目をそらした。
視線を受け止めるだけの力が、今の僕にはなかった。
刀を離した瞬間から、心のどこかで自分が崩れていく音を聞いていた。
剣がなければ何も守れない。
そんな当たり前のことが、今さら胸を締めつける。
けれど菫ちゃんは、何も言わず、ただ僕の側にいた。
その沈黙が、かえって残酷だった。
「……僕なんか、早く居なくなればいいのに」
つい、弱音のような言葉が漏れる。
菫ちゃんは小さく笑った。
まるで幼子をあやすみたいに、僕の頬にかかった髪をそっと払う。
「そんな事言わないで。総司さんのこと、大切に思ってるんですから」
その言葉が、胸の深い場所に落ちて、痛いほど響いた。