第2章 宵の華【土方歳三】
俺は布をそっと戻し、立ち上がる。
女将が口を開こうとしたが、俺は首を横に振った。
「……葬儀には出ない。俺が顔を出せば、また厄介事が増えるだけだ」
その言葉は、ほとんど自分に言い聞かせるようだった。
足を引きずるように座敷を出る。
外に出ると、曇り空の向こうで微かに雨が降り始めていた。
灰色の空気が肌に重くまとわりつく。
ふと振り返ると、軒先の紅い花が一輪、濡れて落ちた。
唇を固く結び、空を見上げた。
雨が頬を伝い落ちる。
それが涙なのか、もう分からなかった。
楓の亡骸を見送った後、屯所へ戻る道は異様に長く感じた。
空は低く垂れ、風が頬を切る。
足元の雪が音を立てるたび、楓の声が胸の奥で蘇る。
それを思い出すたびに、胸の奥が軋んだ。
部屋に戻り、刀を壁際に立て掛ける。
盃に酒を注ぐ。
だが、唇に運ぶ前に手が止まった。
酒の表面に、楓の微笑が浮かんで見えた気がした。
その瞬間、盃を叩きつけた。
酒が畳に散り、かすかな音を立てて染み込んでいく。
楓を救えなかったのは、自分の迷いのせいだ。
情を理由に距離を置き、守るべきものを見誤った。
ならば、もう二度と迷わない。
人を想う心など、刃を鈍らせるだけだ。
翌朝。
総司が声をかけてきた。
「土方さん、顔色が悪いですね」
「これが俺の顔だ」
淡々と答え、羽織を手に取る。
その目には、かつての柔らかさはなかった。
氷のような光だけが宿っていた。
廊下を歩くたび、隊士たちは道を空けた。
何かが変わった――誰もがそう感じた。
俺はそのまま詰所に入り、刀を腰に差す。
「以後、俺は情けを捨てる。情に流される者を置いてはおかん」
声は低く、しかし誰よりも鋭かった。
近藤さんでさえ、一瞬だけ言葉を失った。
「……何かあったのか。トシ」
「何もねぇよ。ただ、もう二度と過ちを犯したくねぇだけだ」
そう言って、俺は背を向けた。
背筋はまっすぐ伸びていたが、心の奥では血が滲むような痛みが広がっていた。それでも構わなかった。
痛みなど、もう感じてはならない。
――あの日、島原で凍りついた心が、新選組の鬼副長・土方歳三を作り上げた。