第2章 宵の華【土方歳三】
盃の縁を、灯りが淡く照らしていた。
今日は池田屋での功績を労うための宴会だった。
島原の座敷には笑い声が響き、三味線の音が夜の空気を震わせている。
だが、俺はその喧噪の中で、ひとり静かに酒を口にしていた。
宴というものは嫌いではない。
だが、浮かれて騒ぐ気分にはなれなかった。
「土方さんも、もう一杯どうです?」
総司が笑いながら盃を差し出してくる。
相変わらず調子のいい奴だ。
「俺はいい」
そう言って軽く手を振ると、総司は「相変わらずですね」と笑って芸妓の輪に戻っていった。
喧噪の輪の中で、原田と永倉が大声で笑い、平助が芸妓に絡まれて赤面している。その光景がどこか遠くの出来事のように見えた。
俺は静かに盃に残った酒を傾ける。
酒の香が鼻を抜け、舌に残るのは鉄の味。
戦の血の匂いと、混ざっていた。
――池田屋の夜。
あの血の海を思い出す。
何人も斬り、何人も失った。
勝利と呼ばれるものの裏には、いつも死体が転がっている。
俺たちは剣で秩序を守る武士だ。
その矜持を疑ったことはないが、心が凍えていくのを感じる夜もある。
「……くだらねぇ」
そう呟いて、盃を置いた。
そのとき、障子がそっと開いた。
白い前掛けをした若い娘が膝をつく。
芸妓たちのような華やかさはなく、化粧も薄い。
けれど、灯に照らされた横顔は、どこか儚げで目を離せなかった。
「失礼致します。お猪口をお下げしてもよろしいでしょうか」
声は澄んでいて、耳にやさしく残った。
「あぁ」
頷くと、娘は静かに盃を重ねていく。
所作の一つ一つが丁寧で、目を離せなかった。
「……お前、ここの娘か」
「はい、裏方のお手伝いをしております」
言葉に柔らかさはない。
淡々と、必要なことだけを述べている。
目を見ても、感情が映らない。
「名は?」
娘は一瞬ためらい、答えた。
「楓と申します」
その名を胸の内で繰り返す。
秋を思わせる、静かな名だった。
楓は深く頭を下げると、音もなく去っていった。
その背をまだ追う。
白い前掛けが、座敷の灯の中で揺れ、やがて闇に溶けた。
彼女が去ると、俺は近くにいた芸妓に先ほどの娘のことを尋ねた。
「あの子ですか?……少し、訳ありなんどす」
芸妓は盃を伏せ、声を落とした。