第114章 平和の代償
あの日から数ヶ月が経とうとしていた。
ゆきは今、蝶屋敷に身を寄せている。
戦局が収束した後も、負傷した隊士たちの手当てや介助で屋敷は連日多忙を極めており、ゆきもその手伝いを続けていたからだ。
「ゆきさん、助かります。いつもありがとうございます」
以前はどこか距離のあったしのぶとも、共に生死の境を越える中で、いつしか固い絆で結ばれていた。
手際がよく、患者の心に寄り添うゆきの存在は、蝶屋敷にとってなくてはならないものとなっていた。
「ただ、ゆきさん。しんどくなったら気にせずに休んでくださいね」
「はい、大丈夫ですよ」
ゆきは小さく笑い、額の汗を拭いながらそっと自分の腹部に手を添えた。
衣服の上からでもはっきりとわかるほど、優しく丸みを帯びたお腹。
あの絶望の夜、一度は消えてしまったと思い込んでいた愛おしい命は、奇跡的にゆきの中で生き続けていたのだ。
暗闇を照らす小さな光のように、お腹の命は今日までゆきを支え続けていた。
手当ての一区切りを終えたゆきは、小さく切った果物の皿を盆に乗せ、蝶屋敷の一番奥にある静かな部屋へと向かう。
静まり返った廊下を進み、そっと戸を開けた。
部屋の窓からはやわらかな木漏れ日が差し込んでいる。
そこにいたのは、白い包帯を巻き、ベッドの上に静かに横たわる逞しい体の男だった。
「果物を持ってきましたよ」
ゆきが声をかけると、ベッドの上の身体がゆっくりと起き上がった。
黒髪の間から覗くのは、深い澄み渡った碧い瞳。
「ゆき…」
「起き上がらないでください。口に果物は運びますから」
体を支えゆっくりとベッドに、横にさせた。
「すまない…まだ時透の消息は掴めないのか?」
ゆきが、寂しそうに微笑む…
「はい…」
ベッドの上の男は、義勇だった。長かった髪は短く切りどこか少し幼くなったようにも見える。
「お腹だいぶ大きくなってきたな」
「はい。順調だとしのぶさんにも言われました。」
「そうか…」
義勇は、包帯で巻かれた手を伸ばしゆきのお腹をゆっくりと撫でた。
無一郎は、あの夜から消息が途絶えたままだった。
それともうひとつ…
無一郎と共に美月の消息も途絶えていた…