第2章 絶望の果てに灯るもの
845年の破局から続く影が、まだ人々の胸の上に重くのしかかっていた。
超大型巨人と鎧の巨人が扉を壊してから、人類の生活圏は押し戻され、飢えと混乱が街を覆う。
政府が打ち出した“奪還作戦”は、名ばかりの名目の下、無数の人命を代償に進められた——その後遺症は、今も日常の断片に疼いている。
──850年、調査兵団本部。
怪我人を片付ける医療区は常に慌ただしい。
薬の匂いと消毒液、
焦げた布の臭い、
そして傷を縫う針金が触れる鈍い金属音が混ざり合い、そこにいる者の神経を研ぎ澄ませる。
木製の担架が軋み、人の足音が絶え間なく行き交う。
「わ、私のせいで…、副長が…ッ」
若い女調査兵の嗚咽が、狭いテントの中で小さく弾ける。
声は震え、涙が頬を伝って垂れていた。
その目は血の気を失いながらも、必死に誰かの無事を願っている。
女の子の頭に、そっと手が乗せられる。
その手は、どこか穏やかで、慰めと同時に芯のある強さを含んでいた。
「これくらいの怪我、なんて事ない。大丈夫」
言葉は柔らかいが、揺らぎがない。
若い兵士は息を飲み、嗚咽をおさえるように小さく頷いた。
視線の先には、青紫に変色した右腕。
骨の輪郭が不自然に浮いている。
包帯が足りない手つきで巻かれているのが見て取れ、見る者の胸が締め付けられる。
「で、ですが…ッ」
その様子を見つめる人物が一人、静かに近づいた。
金属の器具を抱えたベテランの医療班女性だ。
彼女の手は慌ただしくも確かで、動作に無駄はない。
手の甲に残る古びた傷痕が、長年の仕事を物語っていた。
震える声に、やって来た医療班の女性は軽く首を振る。
周囲の喧騒は耳に入るが、彼女の動作は冷静そのものだ。
薬瓶の蓋を捻り、消毒綿を取り出す指先がぶれない。
「大丈夫ですよ、私が治療しておきますので。
貴方は他の負傷者の手当ての手伝いに行って下さい」
その言葉に、女の子は涙をぱたぱたと拭い、小さくうなずいて立ち去る。
歩くたびに肩が震え、足取りはまだ頼りない。
だが、振り返れば彼女の姿はもう医療の列へと溶けていった。