第3章 第一章幕 天女編
タソガレドキ城に身を置くようになってから、蓮は少しずつこの場所に馴染んでいった。初めのうちは、ただ静かにそこにいるだけだったが、周囲の者たちは彼女を放っておかなかった。城主である黄昏甚兵衛は蓮を特別扱いし、何をするにも目を向けた。その視線は、単なる興味や監視ではなく、どこか深い執着に近かった。
「ふむ……蓮よ。お主はまことに不思議な娘だな」
黄昏甚兵衛は城の広間で肘をつきながら蓮を見つめていた。その瞳には、観察するような色がありながらも、奥底には満足げな光が滲んでいる。蓮はそれに何も言葉を返さない。ただ静かにメモ用紙を取り出し、さらさらとペンを走らせた。
『私は、不思議な存在ではないよ』
差し出された紙を読んだ黄昏甚兵衛は、くつくつと笑う。
「いや、お主ほど不思議な女はおらぬ。まるで……そう幻のようだな」
蓮はまた静かにペンを滑らせる。
『私が幻ならば、どうしてみんなは私に触れることができるの?』
黄昏甚兵衛はそれを読んで、さらに愉快そうに笑った。
「確かに、そうかもしれぬな」
そんな二人のやり取りを、雑渡昆奈門は興味深そうに眺めていた。口元には、どこか面白がるような笑みが浮かんでいる。
「まあまあ、殿。蓮ちゃんは不思議な娘ですけど、それはそれでいいじゃないですか」
その軽い調子に、黄昏甚兵衛はわずかに目を細める。
「貴様は相変わらず、変なものを拾ってくるな」
「変なものとは心外ですね」
雑渡昆奈門は、ひらりと手を振った。その様子を少し離れた場所で、山本陣内、高坂陣内左衛門、諸泉尊奈門がじっと見守っている。蓮は、この城で確かに大切にされていた。それは、ただの庇護ではない。黄昏甚兵衛は執着ともいえるほどの愛情を彼女に注ぎ、雑渡昆奈門は蓮が心を閉ざさぬよう軽やかに関わり続ける。山本陣内は無言ながら気にかけ、高坂陣内左衛門は世話を焼くように接し、諸泉尊奈門はまるで兄弟のように蓮を助けていた。それらすべては、蓮にとって初めて触れる『他者の愛』だった。それはあまりにも眩しく、どこか遠い存在のようでもあったが、蓮はタソガレドキ城での暮らしの中で、ゆっくりと、確かに……変わり始めていた。