第6章 即ちそれ、“強豪”なる者たち
●藤堂 天● 〜東京体育館〜
対戦相手への、“尊敬”や“称賛”。
そんな感情を“乾いたスポンジ(弱者)”側が抱くのは、当たり前だ。
でも、ただ恩恵を受けてばかりの存在ではなく、今日は誰かに何かを与えられる存在でいられたのか?
私が…?
“運良く負けなかった”ってだけの、私たちが??
はたして“弱小”と評すべきなのかも怪しい、無名校の私たちでも。
今日は何かを与えられたのだろうか?
それは例えば…
奪われただけの“点”以外の。
一生物にならぬとも言えない、“経験値”を。
今日、私たちが負かしてしまった、対戦校であるこの人たちに。
全国大会の準決勝まで上り詰めた、実力ある強者たちに。
うちのチームとその戦略が「勝者になるのは自分たちの方だ」と、強豪校の強者であるこの人たちの前に、立ちはだかったのか?
本当に??
仮にそれが私の予想ではなく、事実なんだとしたら…
そんなこと、思ってもみなかった。
強豪というのは当たり前に強く、当たり前のように全国の舞台で戦い。
当たり前のように、勝つものだと思っていたから。
そして、強豪校にとって有益な経験は、同様に強豪校との対戦の上でしか叶わないと。
強者同士の争いの間でしか、強豪のチームが真に欲している物は手に入らないのだと。
そう思っていた。
だからだ。
だから最初、私には分からなかったんだ。
どうして、私たちに向かって笑ってくれるのだろう、と。
どうして自分を負かした相手に、尊敬の意を表すことができるのだろう、と。
悩んだ末、私は自問自答した。
「敗北は“無価値”か?」と。
しかし、そうでないことは私が一番理解している。
手付かずのままでは廃れる一途を辿るはずだった後悔と記憶が、私たちの中学を連敗からの脱却に導いたんだ。
そういう「価値のある敗北」というものを、今日の準決を通して“潤ったスポンジ(強者)”たちに与えることが出来たのだとしたら。
“乾いたスポンジ(弱者)”に“尊敬”や“称賛”が向けられることも、何らおかしな状況ではないという気がしてくる。
だから、考えを改めなければならないだろう。
本物の、真の強豪というものは…