第2章 優しい約束、哀しい約束
何に対してかわからねぇ苛立ちを抑える為に湿気の含んだ空気を肺に取り込んだ
薫に会えねぇからなのか、ハッキリしねぇ自分へなのか
肺に目いっぱい空気を入れると、苛立ちから浅くなっていた呼吸が落ち着いた
濁って聞こえた周りの音も澄んで聞こえる
その中に聞こえた足音
間違いねぇ
薫の足音だ
足音と一緒に髪が風に靡く音がした
遠くに見える薫は、髪を靡かせてのろのろと歩いている
相変わらず危なかっしいやつだ
一度は治った苛立ちが再び音を立てて騒ぎ出した
野郎に会ってきたんだろう
いくらか乱れた着物、抜かれた簪がそれを物語っている
どんな野郎だ?
一度会って蹴りの一発でもお見舞いしてやろうか
よくねぇ考えが頭をよぎった
あいつに気づかれねぇように、わざわざ高いところから見守ってるってのに
薫が近づいてきた途端、声が聴きたくなっちまう
同情か?
あいつが可哀想だからか?
それだったら見守るだけで十分だ
俺は…どうしちまったってんだ
「いい天気だな」
声かけるつもりなんてなかったんだ
それがこの有様だ
簪を月にかざす薫が、消えてしまうんじゃねぇか
そう思ったら、色気のねぇ挨拶を口走っていた
暗闇に紛れるはずが、自ら姿を晒すなんてなぁ
薫は驚いて月が喋ったみてぇな顔してやがる
辿々しく、”宇髄さん?”かと訊いてくる
俺は宇髄天元だ
だが、易々と名乗ったりはしねぇ
これは忍の頃からの癖みてぇなもんだ
時に偽名を使う時すらある
薫には煉獄から、俺が宇髄であることはバレている
薫には、天元と呼ばれたかった
嘘を並べたくなかったってのもある
俺のことを知ってもらいてぇとすら思った
「天元だ」
「えっ?」
「宇髄天元だ」
薫は顔を目いっぱい上へ持ち上げて、俺を見ようとしている
俺の姿をしっかりと捉えて、ふっくらとした唇の形を変えて呼んだんだ
「天元…さん」