第36章 固陋蠢愚
『今日が終わったら、迎えに行くよ』
交わした最後の言葉もちゃんと覚えてる。
いつだってすぐに呼び起こせる場所にしまった思い出。
その姿を忘れるわけないの。
見間違えるわけないの。
だから、意味がわからないんだよ。
だって……この人は……。
(もう……どこにも、いるはず……ないの)
きっと、何かの間違い。
こんなの、幻覚を見せる術式か何かだよ。
この人はこんなことを言う人じゃない。違うの。
違う、のに。
「や、皆実」
どうして、あの頃と同じように私の名前を呼ぶの。
「久しいね」
何度も思い描いた声音で、親しげな言葉を紡いでくる。
この声に、答えちゃいけない。
分かってるの、そんなこと。
でも身体が全然言うこと聞かないの。
「……嘘……でしょ」
五条先生と同じ黒服を身に纏って、その人は、昔と何一つ変わらない笑顔を向けてくれる。
「嘘とは酷いな。私が偽物に見えるかい?」
私の記憶の中と唯一違うとすれば額に刻まれた傷口とその縫合痕。
痛々しいその傷は、私の知らない時間のあいだに刻まれたもの。
《んー? 夏油、誰と話してんの? あれー? 綾瀬皆実じゃん!》
私たちの声に反応して、ツギハギもこちらへ歩んでくる。
その人の背後から顔を出して、ツギハギはニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
《うわぁ、また会えるなんて俺は本当に運がいいね。夏油、ちょっと退いてよ。虎杖悠仁に会う前に、その子喰べたい》
ツギハギが恐ろしい言葉を口にする。
でもその言葉以上に恐ろしい光景が、私の瞳に映ってる。
『君の幸せをいつも想っているよ』
私を呪う言葉を、誰よりも呪ってくれた、この姿が……。
「後にしたほうがいいよ、真人。皆実の匂いを漂わせた状態で虎杖悠仁、その中にいる宿儺と会うのは得策じゃない」
笑顔のまま、私を呪う言葉を肯定してるの。
虎杖くんを利用した後に、私を喰べろと。
この声が、そう口にした。
「あはは、たしかに! じゃあさっさと事を成そうか。すぐに終わらせるから待っててよ、綾瀬皆実」
ツギハギは楽しい玩具を見つけたみたいに笑って、屋上を飛び降りる。