第36章 固陋蠢愚
ゆっくりと目を開ける。
視界の先に、先ほどまで見ていた大好きな顔は存在しない。
夢の中だけでしか会えない人。
(もう……この世のどこにもいるはずないの)
あれだけ私の身体の中を満たしていた傑さんの呪力が、あの日全部消えてなくなった。
その意味はたった一つ。
そしてその事実を、他でもない五条先生が肯定した。
それなのに……。
『まあでも、夏油の言ってた通り、君……とっても美味しそうだね』
どうしても、ツギハギの呪霊の言葉が気になってしまう。
あの呪霊が口にした『夏油』が傑さんであるはずがないと、そう分かっているのに。
(でも……)
発言の意味を考えれば、その『夏油』が少なからず私のことを知っているのだと分かる。
私と関係のある『夏油』という存在を、私は傑さんの他に知らない。
身体を起こして、隣を見る。
空っぽのベッドの上にはメモ用紙が一枚置いてあった。
〝しっかり療養してください。少し出かけます〟
達筆な字で走り書きされた紙を拾い上げる。
眠る私を起こさぬように、静かに出て行ったのだろう。
七海さんのおかげで、身体はだいぶ軽くなった。
その分、私の中に巣食っていた呪いが七海さんに流れたのだから、休まなきゃいけないのは七海さんのほうなのに。
七海さんは、どこまでも『守る側』の人。
(……七海さん)
守られている私は、この言いつけの通りに過ごすべきだ。
でも、身体の中に残るツギハギの呪力が、その居場所を私に知らせてくる。
『皆実』
あの呪霊の言葉の真意を知りたい。
(ごめんなさい)
私の考えすぎならそれでいい。
それで誰かに迷惑をかけてしまったとしてもかまわない。
それくらい、私にとって……傑さんはまだ『忘れられない人』だった。