第36章 固陋蠢愚
『皆実』
名前を呼ばれて顔を上げる。
目に映るのは、高専の制服を着た大好きな人の顔。
『すぐるさんっ!』
しゃがみ込んでくれた傑さんの首に手を回して。
私は、結い上げられたそのお団子に手を伸ばす。
そのままお団子を解いたら、傑さんは困ったように眉を下げた。
『こら……解いちゃ駄目だろう?』
その悲しげな顔が、少しでも笑顔に変わればいいなって。
そんなことを思いながら、私の小さな手が、何度も些細な悪戯を繰り返した。
『皆実』
時を経て、五条袈裟を着た傑さんが私の瞳に映る。
でもその顔は、迷いが晴れたように清々しかった。
この呪われた世界で、傑さんが少しでも幸せを感じることができたなら、それがすなわち私の幸せだった。
『傑さんのキスは……魔法みたいですね』
私の呪いを奪うための行為。
心も身体も嘘みたいに軽くなるのに、その一方で幸せに満ちていく。
『この魔法が嫌になったら、すぐに言ってくれ』
『そんな日は来ないですよ』
セーラー服を揺らして、私が自信満々に答えると、傑さんも小さく笑ってくれた。
『じゃあ……まだしばらくは皆実のキスは私が独り占めできるかな』
『傑さんが良ければ……ずっと独り占めしてもらいたいです』
私の髪を撫でて、傑さんが優しい口づけをくれる。
その口づけが、本当に、本当に、大好きだった。
『私も……傑さんを独り占め、したいです』
『……こういうときに、あまりかわいいことを言ってはいけないよ』
いつも子ども扱いなのに。
そのときだけは、傑さんが私を大人にしてくれた。
『……皆実』
傑さんに少しでも近づけるように、背伸びをして。
何度も何度もその姿に手を伸ばした。
『君の幸せをいつも願っているよ』
別れ際、さよならの代わりにくれるその言葉を、私は今もちゃんと覚えてる。