第35章 幼魚と逆罰
「……今、なんて……」
夏油、って言ったの?
違う、それはあの人のことじゃない。
同じ苗字なんて、国内探せば当然他にもいるはず。
あの人のことじゃない。
そんなはずない。
だって、あの人は……。
「綾瀬さん! 離れなさい!」
異形の上に飛び乗って、七海さんが私に注意する。
その声で、私は思考を現状に戻した。
目の前に、ツギハギの顔。
キスされそうなほどに近づいた顔を避けて、私はツギハギとの距離を取った。
「うわぁ、残念」
肩をすくめて、ツギハギはペロッと舌を出す。
そんな私たちの向こう側では、七海さんの相手となった異形が呻き声をあげていた。
《…けて、タす…けでぇ…》
悲痛の声。
七海さんがその異形の顔を見つめている。
その姿を見ても、このツギハギの明るい声音は変わらない。
「あーゴメンゴメン。いっぱい練習したからさ、大きさ変えてもすぐ死ぬことはないけど。脳? 意識? の方はまだ精度悪くてさ」
やれやれとでも言いそうなほど愉快な様子で、ツギハギはその異形の人間性すら踏み躙った。
「そうやって魂の汗が滲み出ることがあるんだ。気にせず続けよう」
「気にしてなんかいません。仕事に私情は持ち込まない主義なので」
七海さんの纏う空気が冷たい。
言葉は冷静でも、その空気が七海さんの感情を如実に表している。
「嘘が下手! 魂が揺らいでいるよ。…えーっと、アンタ何級?」
「一級」
「強いわけだ。実験体としてベスト。『綾瀬皆実』に遭遇したことも含めて、俺は運がいいね」
ヘラヘラと笑って、ツギハギが自らの足の形を変える。
(……自分の形も変えられるなんて)
馬の脚に形を変え、その脚力を増幅させる。
瞬間的に、ツギハギが七海さんとの距離を詰めた。
「感謝するよ」
「七海さん!」
七海さんの右腹にツギハギの手が触れる。
「〜〜っ!!」
苦悶の声とともに、七海さんは飛び退くようにしてツギハギから距離をとった。
けれどその腹からは血が滲んでいる。