第34章 心の師
コーヒーカップを持ち上げて鼻に近づけると、芳ばしい香りが鼻腔いっぱいに広がる。
(美味しそう……)
一口飲んでみると、さっぱりとした苦味の中に芳醇な香りが隠されていて。
上品な味わいが口の中を支配する。
砂糖とミルクをいれたおかげでまろやかな仕上がりになって飲みやすい。たぶんブラックは、まだ私には『大人の味』だっただろう。
それにしても、美味しい。
「五条先生、このコーヒーおいし……」
感想を伝えようとして、私は固まる。
視線の先、五条先生はコーヒーカップの中に角砂糖を1つ、2つ、3つ、4つ……え?
「何個入れるんですか?」
「甘くなるまで」
そう答えながら、五条先生は尚も角砂糖を投入し続けている。
もう10個は入っているはずだ。
「せっかく美味しいコーヒーなのに」
「綾瀬さん、無駄ですよ」
自分のコーヒーを持って、七海さんが向かいの席につく。
五条先生の奇行には目もくれず、静かにコーヒーを口にした。
「昔からコーヒーの出し甲斐のない方でしたから」
「オマエのコーヒーはやたら苦いんだよ」
「コーヒーが嫌なら紅茶も準備があると言ったはずですが」
「僕には聞いてくれてませぇーん! 皆実にだけ聞きましたぁーっ!」
角砂糖が溶けきれずに浮かんでるコーヒーを、五条先生は口にする。見るからに甘そうなコーヒーを五条先生は満足げに飲んでいた。
「早速皆実の前でカッコつけようとして恥ずかしいヤツだな」
「その発言がすでに恥ずかしいですね。というか、アナタいつまで居座るつもりですか」
「何だよ、早く皆実と2人きりになりたいってか?」
「誰ですか、この人に不自由な日本語を教えたのは」
息を吐くようにすらすらと会話が成立している。
普通五条先生の『不自由な日本語』を前にしたら狼狽えたり困ったりするものだけど。
七海さんは淡々と、冷静に的確な言葉を返していて。
「仲、いいんですね」
私がそう呟いた瞬間、2人がバッと私の顔を見た。
「綾瀬さん、アナタも日本語が不自由なんですか?」
「皆実のバカもここまで来ると笑えないよねー」
2人から同時に否定される。
どう見ても仲良しなんだけど。