第1章 ありふれた日常
美穂子の世界 side
その日も、ごく当たり前の日常だった。
朝―…いつものように、携帯電話のアラームで目を覚ましてベッドから起き上がる。
ブラウンに染めた背中の中央まであるストレートの髪は、若干絡まりながらも重力に従って、ぱさりと揺れた。
まだ寝ぼけているのか、いつもなら少し吊り上った茶色い瞳は若干薄目がちで。
ぐぐーっと天上へ向けて腕を伸ばすと同時に身体を伸ばせば、パジャマの上からでもわかる大きめの胸がふるりと揺れた。
彼女―…藍野美穂子は、都心から少し離れた場所にある某有名メーカーで働くごくありふれた社会人だ。
美穂子は立ち上がりながら、携帯電話に表示された日付を見つめてため息をついた。
「―…水曜日、か」
週の中日というのは、どうしてこんなにもテンションを下げるのだろうか。
いや、月曜日もなかなかにテンション低い。
そもそも、世の中、楽しげに仕事へ行く人がどれほどいるのかわからないが―…美穂子は少なくともテンション高く出勤したことなど皆無な気がする。
別に仕事が嫌いだとかそういうわけではない。
ただ、仕事が趣味だとか…今の仕事に夢中になれるほど興味津々というわけでもない。
お金を稼いで生きていくために必要だから働いている、ただそれだけのことだ。
美穂子はパジャマを脱ぎながら、頭の中で今日の予定を思い出す。
今日は会議が目白押しで、まともに仕事ができないはずだ。
たまっていく書類が目に見えるようで、テンションは更に下がった。
「美穂子ー、お母さん先に行くわよ」
「はーい。いってらっしゃーい」
ドアの向こうから声が聞こえて、美穂子は母親にいつものように少し大きな声で見送る。
美穂子の家は母子家庭だ。
まだ美穂子が高校生の頃に父親が病気で他界して。
一度は進学をあきらめたが、この不景気なご時世に学歴なくして就職など難しいことは目に見えていた。
美穂子は苦労するだろうことなどわかっていたが、学費を全額自分で出すことを条件に進学を選んだ。
毎日睡眠時間2時間という苛酷な状況ではあったが、奨学金と併用してなんとかストレートで卒業して―…現在は大手メーカーで仕事をしている。