第10章 雨だれのフィナーレ【呪胎戴天/雨後】
「【謹んで願い奉る――為すべき所願、あらゆる柵(しがらみ)に囚われぬ心、空(むな)しからず成就させる者よ。此の声を聞き届け、成所作智(じょうしょさち)を具現し給え――オン・アボキャ・シッデイ・アク】」
星也の詠唱が、頭の中へ静かに入ってくる。瞼を閉じたことで暗転した世界に、じわりじわりと響いた。
それは一秒であり、一分で在り、一時間であり……それよりも短い時間にも、長い時間にも思えた。
不意に、ぐらりと身体が傾いだように感じると、深く深く落ちていく錯覚。思わず目を開けてしまったが、そこはすでに暗闇の中だった。
「な……っ、これは――……」
「恵、落ち着いて」
冷静な声に振り返ると、そこには星也の姿があった。
ホッと安堵の息を吐くのも束の間。落ちていく浮遊感に身を任せる伏黒たちを拒絶するように、ゴウゴウと炎の柱が上がった。
「ぁ……ッ⁉」
二人を呑み込もうとする炎に手を組んで式神を呼び出そうとするも、ここに陰がないことに気づき、内心で舌打ちを打つ。そんな伏黒の手に自身の手を重ね、星也は諭すように言った。
「ここはすでに詞織の生得領域――つまり、心の中だ。呪術は使えない。それに、下手に攻撃すれば、詞織の心を傷つけることにもなる」
「――分かりました」
まるで底のない暗闇に落ちていくようにも思えたが、ついに果てへ辿り着く。降り立つと、ピチャッと水音がして、思わず足元を見た。足首まで浸す水。
周囲を見渡すと、汀に大きな枝垂れ桜が水面に陰を落としていた。周囲にはシャボン玉のようなものが漂い、上空には二つの月が幻想的な風景を作り出している。
「ここは……」
「【夢幻泡影(むげんほうよう)之(の)揺籠(ゆりかご)】――詞織の生得領域だ。上手く術式を付与できなくて、領域展開の完成まではあと一歩ってところだけどね」
「そうですか……」
チャプチャプと水音を立てながら、二人は楼閣の下まで向かう。やがて、声が耳に届いてきた。