第18章 人の生
すみれは薬瓶の蓋を明ける。
忘却薬だなんて。物騒な薬は意外にも薬らしからぬ、ほんのりと果実の甘い香りがした。
「…っ」
いっその事、全てを忘れたいと。
切に願うものの、薬瓶に口につけることができなかった。
すみれの様子を見て看守が「ああ」と思い出すように言う。
「心配は御無用。
衣食住と新たな仕事はこちらできちんと確保する」
「…は、い」
心配なんて微塵もなかった。
(そもそも自分に明るい未来なんて、あるはずがない)
飲んでしまおう。
もう楽になりたい。
そう思うのに、私は何を躊躇っているの?
「…飲み……っ」
黒の教団に思い入れなんて何一つ無い。
しかし、ふと頭に疑問が過ぎる。
(遠の昔に大切な両親を亡くした私にとって、普通の生活ってなんだろう?
自分が関与した罪に目を瞑って、これからのうのうと、生きていくの…?)
嘘だらけの日々の中でも、捨てられないものがあった。
ディックと過ごした日々が走馬灯のように思い出される。それは両親との思い出の次に大切な記憶。太陽のような、底抜けに明るいディックの笑顔。
(それさえも、消えてしまうの?)
すみれの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
(――――嗚呼、無理だ)
「飲め、ません…ッ」
この罪を、大切な思い出を
私は手放すことが出来ない
すみれは顔を手で覆いながら、崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまった。
「…どんな事でもやります
―――――私を黒の教団に、置いてください」
過去の幸せ―――思い出の中でしか、私は生きられない。ならばその思い出を抱きしめながら、此処で罪を償っていこう。この命が尽きるその日まで。
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