第10章 冬、めぐる狐日和のなかで
"思い出の共有"
頭の中に浮かんだその言葉を、すぐに理解するのは難しくて。
不思議がる私に、先生は私が聴いて納得出来るようにゆっくりと話してくれた。
「形に残るものは言葉にした通りに、ずっと貰い手の側に在り続ける。残り続ける。そうして石津さんがくれたんだって思い出がそこに浮かび上がる。
失せ物だって同じだね。
色や味、形や香り。五感で受けとるものは記憶に残るし、同時に思い出を想起させるものだ。
例えば愛用のハンカチは娘が初めてキャラクターワッペンを縫い付けてプレゼントしてくれた物だし、お疲れ様って入れてくれた砂糖と塩を入れ間違えたコーヒーは忘れ難いよ。
ちなみにワッペンは、娘が好きだった女の子向けヒーローのキャラクターで一緒にいればママを助けてくれるからだって。
コーヒーは、仕事で疲れた顔してるから元気になって欲しいって淹れてくれた。小さな手でトレーにのせてさ。
可愛かったし、嬉しかったよ。すごくね。」
目を閉じて、記憶を思い出しているんだろう。
先生のクスッと笑ってしまう話の中に、娘さんに対する優しさや愛しさを感じた。
こちらまでほっとして嬉しくなる、そんな気持ちになった。
「私の中には、思い出のひとつとして色濃く残っているし、ハンカチを使うたび、コーヒーを飲むたびに思い出すよ。娘は恥ずかしがるけどね」
「よかった。石津さんにも大切に思う人はちゃんといるみたいだね。」
お互い顔を見合わせてつい微笑んでいたが、先生の言葉に思わずピタリと固まってしまった私。
気付いているのかいないのか、先生はそのまま話を続ける。
「大層な理由付はいらないよ。
ただそうしたいって気持ちで動いたっていい。
ありがとうとか、喜んでほしいとか。みんなが思うありふれた気持ちはちゃんとその人にも伝わるから。」
頑張れと聞こえた気がして、ぎこちなく一礼する。
ありがとうございますとお礼を告げて、私は席へと戻るために歩き出した。
先生にはなんとなくだが、見抜かれているのかなと思ってしまう。
渡したい気持ちだけならば、私にもあるのだ。
だけど、迷惑に思われたら…嫌がられたら、どうしようなんて。そんな事考えてしまう。
意気地なしで臆病の私は、やっぱり決められないのだ。