第116章 嘘と駆け引き
月が中天に差し掛かる頃
障子越しに月明かりが射す天主の部屋は、しんっと静まり返っていた。
文机の前で広げた書物の頁をめくりながら、部屋の外の気配に耳を澄ませる。
(信長様は今宵も遅いのかしら…)
京より戻ってからというもの、政務に追われている信長の帰りは連日遅かった。
戻られるまで待っていようと思いながら、気が付けば眠ってしまい朝になっていることも多く…すれ違いの日々が続いていた。
(最近は、昼間にお会いしたくても会えないことも多いから、出来るだけ起きて待っていたいのだけど…)
行燈の薄ぼんやりとした灯りの下で書物の字を追っていると、眠気に負けてうとうとしてしまう。
「……朱里?」
名を呼ばれてはっとして顔を上げると、部屋の入り口にはいつの間にか信長様が立っていた。
「あ……お帰りなさい。信長様」
「……まだ起きていたのか?先に休めと言っているだろう?」
気遣いの言葉だと思いながらも、責められているような気がして少し寂しく感じてしまう。
「ごめんなさい。でも、あの…お顔が見たくて…」
「っ……」
しゅんと沈んだ顔をして俯いてしまった朱里を見て愛しさが募る。
遅くまで無理をして待つ必要はないと言ってやるつもりだったが、落ち込んだ顔を見てしまうと躊躇いが過ぎる。
自分から触れるつもりはなかったのに、つい手が伸びてしまう。
触れれば歯止めが効かなくなると分かっていたが、抑えられない。顎先に指で触れ、そっと顔を上げさせると、衝動的に口付けていた。
「んっ!?…んっ…」
ーちゅうぅ…ちゅっ、ちゅぷっ…
舌先で輪郭をなぞりながら、角度を変えて性急に何度も唇を重ねる。無自覚に背に腕を回し、腰を抱き寄せる。
軽く触れるだけ、と思いながら止まれなかった。
「っ…んっ…信長さまっ…」
突然の性急な抱擁に戸惑い、息苦しさから思わず信長の胸元を押し戻していた。
「くっ…」
華奢な女の細腕、さほど強く押したつもりはなかったのだが、意外にも信長は僅かに顔を顰めた。
(えっ…?)
「信長様?」
どうしたのだろうと見上げるが、違和感を感じたのは一瞬で、何事もなかったかのように力強く抱き締められる。
今宵はこのまま……そう思い、身を委ねたけれど…
「……もう遅い。休むぞ」