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忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

第9章 天下泰平



どこかの地方、どこかの里。
妙に綺麗な女を連れた、人相の悪い長身の浪人の男が越してきたという。夫婦と思われるその男女はそろって手先が器用でどんな仕事も上手くこなしたのだが、人に威圧感を与える風貌の男とそれを補佐する女がいやに不審だと言われ里の者に信用がなかなか得られなかった。

「柘植さん、柘植さんや」
「はいはい、どうしました?」
「この着物が破けちゃってねえ、
 あんたこういうの直せるんだって?頼めるかねえ」
「まあ綺麗な着物!ええお任せください、すぐに直しますね」
「あれ、あんた、だいぶお腹大きくなったねえ
 ちゃんと食べてるのかい?今度お野菜もってきてやろ。
 あんたの旦那さん、意地が悪そうな顔をしているが、大丈夫かい、気を付けて貰ってるかい?」
「ええ、見かけはあんな方ですが、お優しい人ですよ」
「本当かねえ」

今では家に訪れる人も増えたという。老婆の後ろ姿を見送りながら、女は嬉しそうにして膨らんだという自らの腹を撫でた。
父親が解る子が産めるなどと、籠の鳥であった頃は思ってもみなかった。

「苦労をさせる」

長身の男が傍に現れ、低い声で告げれば女は首を左右に振った。

「いえ、私は幸せです。心の底から。
 貴方に連れ出されて本当に…本当に良かった。」

男は気難しい顔を崩さない。

「でも貴方は、野心の強い方ですから、この暮らしが満足できないのではないですか。折角……折角忍びの里を出たのに、なんて」
「フン、おれは光圀の殺害は無理だと悟った時に生を諦めた男よ。そんな者が、日ノ本一と呼び声高い嫁を娶っただけでも過ぎた僥倖であろう」

男は女の肩を抱いて引き寄せる。以前ならば”そんな事”を己の人生の目的に定義などしなかっただろう。女は僅かに、残念そうに眉を下げる。

「そんな言い方をしないでくださいな。貴方は強くて聡明な御方、今からでも、新たな地でも、貴方は人の上に立つことができる方でしょう?」
「なんだ、やはり不満なのではないか」

フンと鼻で笑うと、女は眉根を潜めてむすりとした顔をする。
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