第2章 新月の夜に/中原中也
そのあとは、すとんとまた椅子に座り、ぶつぶつと文句を言いながら残り少ないウイスキーを啄むように飲んでいた。
「面白い方でしたよ」
「面白くねえよ」
「お顔も整ってらして」
「はあ?」
「ふふ、私の手を取ってなにか仰ってました。なんでしたっけ…確か、『私と一緒に』とか…」
彼女が言い終わらないうちに、中原中也はカウンターから身を乗り出すと、グラスを持っている彼女の華奢な手首を掴んだ。
突然のことに驚いたバーテンダーは、彼の力に耐えきれずに、グラスを床に落とした。
ガラスの割れる鋭い音が、真夜中のバーに響いた。
「あ、あの…私、何かお気に障ることを致しましたか…」
「……。」
中原の突然の行動に、頭や体が着いていかず、細い声しか出せなかった。
彼は答えない。
俯いていて、長い前髪のせいでどんな表情をしているのかわからない。
ぎゅ、と手首を掴む手に一瞬力が込められてから、名残惜しそうにゆっくりと解放してくれた。
「わりい…なんかその、つい…、痛かっただろ」
泣きそうな声で、彼は言った。
「私こそすみません。貴方のご事情も知らずにお話してしまって…その、包帯の方とは何かお有りだったんですね」
彼女はそう言うと、カウンターの下へしゃがんで割れたグラスを片付け始めた。
中原の目には、グラスを摘む手が少し震えているように見えた。
「(まずいな、異能を発動したか?)」
自問自答しても、わからない。
なぜなら、そんなことに気を遣う余裕もなかったから。
ただ月は、静かに笑っており、カウンターの下でグラスの破片を摘む彼女の心臓は、この静かな夜に響くのではないかと思うほどの音を立てていた。
触れられた手首が熱を持っているようだ。
意識すればするほど、熱は顔のほうに集まってくるのが嫌でもわかる。
だめだ、と諭しながらも抗えない感情にもはや笑いが込み上げてきそうだった。
ただ、この姿をくらました月が、ずっとそこにあればと願うのみ。
─END─