第9章 恋煩い
「京楽隊長、ご無沙汰しております」
「そんなに急いでどこ行くの?」
「えっ…いえ、急いではいないんですけど」
「そう?」
小首をひねりながら彼はこちらを見つめてくる。
いつの間にか早足になっていたらしい、指摘され内心焦る。相手の無意識な行動や細かい所作も見逃さない目端の鋭さが、京楽にはあった。
「大丈夫かい?何かあったら相談に乗るよ?」
「はい…ありがとうございます」
「例えば誰かに何かされたとか…ね」
途端に修兵の顔が浮かぶ。それに続いて思い出すのはあの日の光景。
距離は近かったけれど抱きしめられた訳じゃない。唇にだけ触れられた。そのせいで逆に感覚が鮮明に残っていた。あんなのは、ずるいと思う。
ただ、拒否しようと思えば逃げられたはず。けれど動かなかったのは自分のほうだ。修兵だけ責めるのは違う気がした。
「萌ちゃん?」
「あ、いえ…」
ぼうっと思い耽る萌へ身をかがませ近付くと、京楽は耳打ちするように寄ってくる。
「どしたの、今日は…何だか色っぽいね」
そして腕を回されかけたその時、萌は見知った胸の中に抱き留められていた。
「見つかっちゃったかぁ」
「京楽!うちの萌に手は出させないぞ!」
瞬歩で駆けつけ萌を間一髪救った浮竹が、京楽を睨み据えていた。驚く萌をよそに、京楽はお茶目に笑って触り損ねた手を宙にぷらぷらさせている。
「全く…油断も隙もないな。萌、行こう」
「京楽隊長、失礼します」
「は~い、また今度遊ぼうね~萌ちゃん」
訳の分からない展開に戸惑いつつも、浮竹と共に隊舎へと戻る。
その浮竹の後ろ姿を見やりながら、京楽はやれやれとため息を漏らしていた。
「大事なモノはちゃんとしまっときなさいよ…あれじゃ恋煩いだ」
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