第1章 1
「あれ、どっかでタバコ落としたかな」
パタパタとあちこちはたいてみても、それらしき感触はない。
「着替えの時にでも落としちゃったかな、ごめんね確認しきれてなくて…」
右隣に座っているマネージャーが申し訳なさそうにこちらを見やる。
「んやー、私もちゃんと控え室見てなかったからねー、気にしないでよ」
とは言ったものの、ライブ終わりの一服を少しばかり楽しみにしていただけに、自然と肩は落ちてしまう。
ライブハウス前の交差点で、信号が赤になってバンは停車する。
「どうします?引き返して探しましょうか?」
運転手の若いお兄さんが、振り向いて伺ってくる。
「マネちゃんタバコ持ってたっけ?」
「ごめん、私吸わないから持ってないや…」
「そっか、だよねー。んー、戻るのも面倒だしこのまま帰ろうかなー、あ、信号青だよ」
「あ、すいません、ありがとうございます」
急いで顔を正面に戻した運転手が、ロクに周囲の確認もせずアクセルを踏む。
そういえば吸えない時用のミントタブレットあったな、とロゼは自分のカバンを探ろうと体勢を変えた、その時。
『エル様!!!』
スモーク貼りの窓ガラス越しに、自分を呼ぶ声が聞こえた。
赤信号のチャンスに、車を特定して出待ちをしていたファンがとても近くまで接近していた。
車内にいた全員がそちらに気を取られる。
そこから先はスローモーションだった。
非常識極まりないなと顔をしかめるロゼ。
「離れてください!」と大声を出すマネージャー。
そして、
「う、うわあああああ!!!!!」
急発進に気づかず、バンを囲んで止めてやろうと考えたファンが1人前方にいた。
悲鳴のような叫びをあげながら、若い運転手はハンドルを大きく右にきった。
グンッと体が持っていかれ、隣のマネージャーと密着する。
差し入れの紙袋が落ちる音、全員の叫び声、まるで遠くに聞こえるファンの悲鳴。
その大きな金属の塊は、街灯の下で派手な破壊音をあげて沈黙した。