【BANANAFISH】Lullaby【アッシュ】
第1章 プロローグ
月の気配すら感じられない夜だった。
英二はキッチンから冷えたビールを二本持ってきて、すでにベッドの上で本を読んでいたアッシュに手渡した。
時刻は午前零時を回ろうとしていたが、彼は本を読みたくて読んでいると言うよりは、寝付けないせいで読むともなしにページをめくっているように英二には思えた。
「ねえ、アッシュが本気で好きになった子ってどんな子だったの?」
唐突な話題にアッシュはほんの一瞬驚いたような顔をして本から顔を上げたが、すぐに静かで穏やかな、そしてどこか懐かしいものを見るような表情になった。
ケープコッドの岬で、どこまでも広がる水平線を目にした時のように。
「そうだな・・・おまえに少し似てたかな」
「僕に?」
「少し、な。多分、ジャパニーズの血が入ってたんだ。多分だけど」
「へえ・・・なんだか意外だな」
「でもニホンゴ、全然しゃべれなかったし確実じゃないぜ」
アッシュが缶ビールのプルタブに指をかけながら優しく微笑むのを見て、英二はハッとした。
アッシュのそんな表情を見るのはずいぶん久しぶりな気がした。
「そうなんだ。きっと、優しい子だったんだろうね」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、君みたいなワガママなやつ相手にできるんだろ?優しくないと無理だよ。ああ、それかすっごい強い子。寝てる君を叩き起こせるような」
茶化すような英二の言葉に、アッシュがムッとして眉間にシワを寄せた。
「英二てめえ・・・覚えてろよ。明日までに冷蔵庫のケチャップ全部激辛マスタードに替えてやる」
「ええっ!?やめてよ!僕からいのダメなんだから」
「だからやるんだろ?せいぜいオニイチャンの大好きな納豆にでもたっぷり入れて食えば」
英二が本気で焦りながら笑った。
ベッドに潜り込み、隣のベッドで壁にもたれて缶ビールを飲むアッシュを見つめる。
「ねえ、もっと教えてよ。君の好きになった人のこと」
聞きたかった。
あまり過去のことを話さないアッシュ。
つらいことを思い出すのか、真夜中に度々悪夢にうなされるアッシュ。
そんな彼を、思い出すだけで優しい微笑みに変えてしまうその人のことを。