第9章 貴方と過ごす安土~秀吉編~
信長様が敵に狙われ、暗殺されるかもしれないという知らせを耳にした時は、心臓が氷の手で握り潰されるような心地だった。
この乱世故の主君の天下布武という大望の為に立ちはだかる敵も壁も多いことは重々承知の上だし、その為の覚悟もある。
だが、主君の危機に己が即座に駆け付けられない悔しさを感じていた。
即座に三成に京に行くように指示を出した後、書簡や諸々の用事を迅速に片付け、馬を駆けさせながらも、生きた心地がしなかった。
そして本能寺で煤にまみれながら特に怪我もなく御姿を拝見した時は、安堵で思わず涙が溢れそうだった。
珠紀と出会ったのはその時だ。
初めは驚きと不信感しか湧いてこなかった。それもそうだろう。見たこともない身なりの華奢な女子が、炎に呑まれる本能寺から主君を助け出したというのだから。
その後、断りもなく信長様の御前から姿をくらまし、合流した政宗と共に珠紀を追いかけた。
森の中で再会した際にあの娘と僅かに口論になった。何と無礼で不遜な態度だろうか。
声も、瞳にも、何の熱を灯していない冷ややかな雰囲気。あれは、誰にも心を許さぬように調教された手練のものだ。
安土城に連れ帰るという信長様の御言葉が覆る筈もないが、もし敵の間者だったならどうされるおつもりなのかと、俺は心配で仕方がなかった。
森の中を移動する道中、奇怪な行動を起こして意識を失った珠紀を安土城に連れ帰り、広間で素性を問えば、信長様の御前であの恐れ知らずな態度に加え、俺に頭突きまで食らわされ、開いた口が塞がらなかった。信長様の寛大な御心が無ければ、その場で斬って棄てられているというのに。
こんな女は今まで会ったことがない。
城下に案内したり、世話を焼いたりする中で何度か声をかけるが、珠紀は繋がりを持とうとしない一方で、痛みを堪えるような辛い顔をする。
そんな顔を見て、俺はあいつを守ってやらなければならないと思った。
まだ素性が分からないままだが、あいつは何かとんでもないものを一人で抱え込んでいる。それが、いつも自分の予想の範疇を超えた考えを持ち、前にある背中を思い起こさせ、心配で仕方がない。
なぁ。互いに心を開いて分かち合えたなら、お前はそんな顔をしないで済むのか?