第6章 【04-前編】零時の鐘が鳴るまで
「Ciao,bella.一人で退屈そうだね」
興味をそそらない紙面に視線を落としてから数分も経たないうちに投げ掛けられたテノールの声に、氷雨は心中で溜息をつく。カモフラージュ用にカップをわざわざ2つ置いているではないか。一人と決め付けられるのは解せない。
「すみません、連れを待っていまし、……て」
新聞から視線を上げて、氷雨は言葉を失った。まるで呼吸の仕方まで忘れてしまったかのように、一瞬息が止まる。
美しいブロンド。白い肌に細身の体。極め付けは、頭に被った銀のティアラと口角を上げる独特の笑み。
自分のよく知っている何もかもが、まったく知らない別の何かになって現れたーーそんな心境だった。
彼女がガタンとテーブルを揺らして立ち上がると、青年は片手を前に出してそれを制する。コーヒーカップがテーブルの上に転がり、残り少なくなっていた中身が零れた。
「そう焦んなよ、おねーさん。連れを待ってるんだろ?ま、そいつはいくら待とうが来ないけどな」
「それなら、待つ意味もありませんね」
「焦るなっつってんだよ。座りな。ここでドンパチやりたかねぇだろう?」
氷雨は、ぐっと黙り込んだ。ここで会う筈の者が始末されたとなれば、その犯人は一つしか考えられない。そして、相手の口振りから察するに、この周辺は包囲されているようだ。逃げるにしても、今すぐでは分が悪い。
彼女は、新聞を畳みながら白いイスに腰を下ろす。青年は満足そうに微笑んだ。
「それでいい。物分かりの良い女はキライじゃないぜ」
「ご用件は?」
「……これで三度目だ。焦んなっつの。そうだな……まずは、代わりのコーヒーを用意させよう。話はそれからだ」
青年は、店員を呼び付けると当然のようにテーブルの掃除と新しいコーヒーの手配を指示してから氷雨の向かいのイスに深く腰掛ける。その口元にはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。
まもなくして新しいコーヒーカップが二つ、テーブルの上に並べられた。青年は、それに口をつけるものの一口飲んだだけで嫌そうな顔をすると、カップをテーブルに戻す。