第6章 【04-前編】零時の鐘が鳴るまで
「うわ、ちょっ、なにおまえ…っ」
完全に不意をつかれたベルフェゴールは、駆け寄る足音に振り返ろうとはしたものの、それが叶うことはなく背中に衝撃を受ける。普段の彼女からは考えられないようなその行動に、意図せずとも声が上擦った。
氷雨は、彼の背に顔を埋めたまま何も話さない。そのくせ、ベルフェゴールに抱きつく腕の力を緩めようともしないのだから、どうしようもなかった。
数秒の沈黙の後、ベルフェゴールは深く息を吐き出した。
「ボンゴレに呼ばれてたんじゃねーの?」
「うん」
「隊長にもオレらがイチャイチャする時間はないって言われてなかったっけ?」
「……うん」
「オレは、甲斐甲斐しく送るだけにしてやろーとしたんだけどね」
「わかってるけど。……だって、」
「だって何?」
ベルフェゴールの言葉がグサグサと心に刺さるようだ。普段は、似たような台詞を氷雨が言っていることが多いだけに、立場が丸っきり逆転していた。
氷雨は、彼に抱きつく腕に力を込める。
「だって……抱きしめてほしく、なったんだもん」
三十路手前の女が何を言っているのかと自分でもツッコミを入れたくなる。けれど、それがどうしようもない本心でもあった。ふつふつと沸いてくる羞恥心に堪え切れず、彼女は目の前の背中に顔を埋める。
ベルフェゴールは、何も言わなかった。いや、言えなかった。ついさっきまでは彼女の珍しい言動をからかってやろうとか、意地悪してやろうとか、あまりよろしくない考えをいくつも巡らせていたというのに、そのすべてが頭の中から吹き飛んでしまっていた。全くもって面白くない。最初に"嬉しい"と思ってしまった自分自身も含めてだ。
彼は、己の胸板に回された氷雨の腕を引き剥がす。そして、体を反転させながら掴んだままの彼女の腕を己のほうへと引き寄せると、その細い体を抱きしめた。彼女が望んだとおりに。
「人がかっこつけよーとしてるときに限って……この、性悪女」
「……うん、ごめんね」
氷雨の声音は、普段よりもどこか沈んでいるようだ。ベルフェゴールは別に謝らせたいわけではなかった。