第1章 情事に至るまでの5つの場面
どんな台詞だよそれ。使うタイミングがわかんねーよ。「なんも覚えてない」って言ってやったら氷雨は少し驚いたような顔をして、すぐに「そっか」と言って表情を和らげた。あったかい手のひらが頬に触れる。振り払いたいのにオレはそれが出来なかった。たぶんもう一回こいつに乱暴することを恐れてるんだろーな。
思う存分責めてくれりゃいいのに、氷雨は自分の思ってることなんてひとつも言わないで「レイプ中に言われた暴言集」をわざわざひとつずつ言っていく。まあよく覚えてるもんだなとも思ったしよく言えたもんだなと思った。後者はキレてるオレに対しての言葉。氷雨は謝らせたいのか、とも思ったけど淡々と喋ってるその様子は謝らせたいっつーよりただ聞かせたいだけのような気がする。それはそれでタチが悪い。オレがなにも言えないでいると彼女はぜんぶわかっているかのような顔で笑った。
「でも、あのときも“別れよう”とは一度も言わなかった」
「……」
「ごめんね。私、まだ嫌いになれないみたい」
「……バッカじゃ、ねーの」
「うん。ほんとにごめん」
細い指がオレの手に触れる。動かせないままでいたそれを氷雨の頬まで誘導された。あったかくて、やわらかい。その感触を確かめたくてちょっとだけ温かい彼女の頬を撫でると氷雨は嬉しそうに笑った。やめろよ、そんな顔すんな。
オレがそう願ったことなんて当然氷雨は知らなくていつもみたいに優しい顔をして優しい声で唄うように言葉を紡ぐ。「まだ愛してくれる?」それはオレの台詞だよバカ。もう、ほんと、なんでそんなにタチわりーのかねおまえはさ。抱きしめたくなるじゃん。ぎゅって抱きしめた氷雨の身体は、それだけじゃ壊れない。
「オレもまだ、諦めらんないみたい」
ああ、大概オレもバカだよ。おまえといっしょだ。
こ れ は 、 愚 か 者 の 恋 物 語
「氷雨ちゃん!今度襲われたら、これを使いなさいねっ」
「防犯ブザー?」
「俺からはコレをやるぜぇ」
「催涙スプレー……」
「おまえら、そーゆーのはオレのいないとこで渡せよ」
「つーか、別れちまったほうが早いんじゃねーかぁ?」
「もうおまえ黙ってろアホ鮫!!」