第2章 『頑是ない歌』
「ここまで見越してたのか?」
「さぁ」
「いい加減機嫌直せよ」
「別にもう怒ってないし、飼い犬に手を噛まれた程度にしか思ってないよ」
そうかよ、と呟いてから中也はソファの背もたれにもたれかかる。もう数年間ほぼ毎日顔を合わせているが今隣に座ってる泰子が何を考えているのか。
横顔をちらりと見ても、中也には全くわからなかった。
それから5分程して、事務所の扉が叩敲される。
「失礼します」
そう言って男が入って来る。
ソファにかけると名刺を二人へ差し出し、改めて名乗った。オーナーは見た目は30代半ばくらいの日焼けした肌が特徴的な男だった。
「この度はうちの従業員が大変失礼致しました」
「いえ、彼女からも謝罪がありましたし、お気になさらず」
「有難うございます。こちらはクリーニング代です」
泰子の目の前に封筒が差し出されるが、彼女はそれをスっとオーナーへと返した。
「これは頂けません」
そういう訳には、とオーナーは食い下がるが泰子は頑なに受け取らず、上着を持って立ち上がった。
黙って見ていた中也も帽子を被り、扉へ向かっている彼女の後を追った。
「──そんなに汗をかく程焦らなくてもよろしいのに。いつか身を滅ぼしますよ」
確かに男は室内はそれほど暖房が効いている訳でもないのに額に汗を滲ませていた。
店外へ出て再び車に乗り込む中也と泰子。
「あのオーナー、薬やってるな」
「ええ。そして恐らくデータにアクセスしたのはオーナーではない」
「そうなのか?」
「別の者ね。きっとまたアクセスして来るだろうから、その時に暴いてあげるわ。はー、帰ったらさっきのデータを見なきゃ」
赤信号で停車すると同時に面倒臭い、と呟きながら泰子は目を閉じる。
中也は後部座席から自分の外套を取ると、泰子へと被せた。
「寝とけ。手前今朝起きたの早かっただろ。寝ないよりマシだ」
「ん、有難う」
素直に好意に甘え、泰子は座席を倒すと中也の外套を毛布代わりにした。
直ぐに寝息が聞こえてくる。
「...一寸遠回りしてくか」
眠りについている泰子の髪をそっと梳きながら中也はポツリと呟いて、行きとは別の道へ車を走らせた。