第3章 傷…
あの時、右手を振り下ろした時の母様の顔には、智子に対する憎しみ?…いや、違う…嫌悪のような物がはっきりと見て取れた。
僕は母様の心が分からなくなった。
母様が、妾腹の娘である智子を、本心から愛せないことは、子供心に僕も気付いてはいた。
それでも僕は信じていたんだ、母様を…
智子を愛していると…
母様は智子をどう思っているの?
そのたった一言が、僕はどうしても聞けずにいた…いや、聞いちゃいけないような気がしていた。
そんなある日、夕食を前に、父様が僕達を応接室に集めた。
そこには何故か潤もいて…
僕は疑問に思いながらも、智子と並んでソファーに腰を降ろした。
「何ですの、急に話だなんて。それに…」
母様はちらりと潤を見ると、懐から取り出した絹のハンケチであからさまに鼻を覆った。
医学生でもある潤からは、仄かに薬品の匂いがしていたからだ。
「話と言うのは他でもない、智子にもそろそろ許婚をと思ってな」
「えっ…?」
今、何て…?
智子に許婚を…?
そんな…
「で、でも父様、智子はまだ十三なのに、許婚なんて早すぎるんじゃ…」
智子が誰かの”物”になるなんて、そんなの僕には耐えられない。
普段は父様に口答えなんてしたことない僕の、それが初めての父様に対する小さな反抗だった。