第3章 【武田軍】刃傷横恋慕帖【高坂昌信/内藤昌豊】
穏やかな太陽の光。
少し前までは朝から蝉の声が響いていたのに、最近では夕暮れになってから秋の虫たちがまるで競っているかのように羽を震わせている音が聞こえてくる。
此処、神牙は戦乱真っ只中の群雄割拠の世。
なのに、そんなことを忘れてしまいそうになるくらい、今日は穏やかで、空が高くて澄んでいる。
まるで信玄さんの心を映したような空が武田の領地に広がっていた。
高層ビルが並び、地下鉄の交通網が発達した世界で暮らしていた時には、こんなに空を広く感じたことなどなかった。
自宅から駅までの道のり以外、通勤経路は地下鉄と地下通路と地下鉄。降車駅から歩いて道なりにあるコンビニで食事を調達できたし、出先で肌寒いときには、途中の曲がり角を反対に少し歩けば地下街のショップでストールを購入できた効率的で便利でとてもいい生活環境。
そういうものが全くないこの世界で、初めはとても戸惑って、今でも不便だなと思うことはあるけれど、武田軍の皆さんは皆家族みたいに仲が良くしてくださるお陰で、こういう自然の空をのんびりと歩いて、色々な匂いや色、温度や音を感じて過ごすことも、案外、自分の性にあってるなと思うほどになってきた。
涼やかな風が金木犀の香りを運ぶ。
季節の移ろいを感じさせるけれど、
これは私の知っていた世界とは違う季節だ。
そう、自分に言い聞かせても、
金木犀の香ったあの頃、
あの人は私のことを想ってくれていたのだろうか。
と、思い出してしまった。
付き合ってほしいと言われた時は嬉しかったし、一緒にいるのも楽しかった。
はず、だった。
少し前の別れの言葉はあっさりとしたもので、それ以上に私の心もあっさりとそれを受け入れ、どこかで、あぁ、やっぱりな、と納得していた自分もいた。
今更、感傷に浸るつもりもないけれど、
ーーお前、俺のこと、本当に好きだったことある?
と言わせてしまったことが、心にもやもやとした影を落として、今でも澱のように漂うのだった。
「瀬那さん、どうしたの?ぼーっとしてるけど、疲れてしまったかな?」
『いえ、大丈夫です、昌豊さん。金木犀の香りがふわっと香ったから、何だか心地いいなって思って。』
今は武田の軍で薬師としての勉強をしつつ、城の中のお手伝いをさせてもらっていて、今日は昌豊さんと城下町に買い出しにやってきていた。
