第1章 【織田軍】プロローグ/盃に月を映せば【丹羽長秀】
素直な気持ちを言葉にする瀬那は、俺の心をかき乱す。
人の心を掴んで置いておいて、掴めない女だ。
「あぁ。離したくない。」
そっと俺の右腕に手が添えられて、
『痛みはとれましたか?』
と、不意に問われて、
「何故?」
知っている?
驚いて思わず聞き返してしまった。
同時に、痛みがあったことを肯定してしまった。
瀬那は、微笑を浮かべていた。
この右腕の怪我は誰にも言っていない。
怪我というほどの大げさなものではなかったし、誰にも気付かれてもいないと思っていた。先日の厄魔討伐ではなく、あの戦のときに右腕に痛みを覚えていた。切り傷でもないし、放っておけば治ると思っていたものの、なかなか痛みが消えずに今日に至っていたが、今はもう痛みが消えていた。
『長秀さんって、右半身で柱に寄りかかったり、右側で頬杖付いたり、横になってお昼寝するときも右側を下にする癖があるじゃないですか。なのに、この前の戦の後、ずっとそうしないようにしてるみたいだったので、こっそり怪我したのかなって思ってたんですけど、当たっていましたね。』
と、実はいつも見ていることをさらりと言われて、驚嘆を禁じ得なかった。
『切り傷以外にも、私の血が治癒に効いたなら良かったです。』
けれど、言葉とは裏腹に、さっきまでの絆されて可愛らしい瀬那はもういなかった。
まるで別人。それは、普段の日常で出会う瀬那だった。
するりと腕を抜けて、手早く浴衣を身に纏った。
『私、部屋に戻りますね。』
「瀬那。黙っていなくなったりするなよ。」
『おやすみなさい。長秀さん。』
「あぁ。また俺の晩酌には付き合え。」
『また誘っていただけたら。』
ふふっ。とわずかに笑って、そっと戸を閉めていった。
交合いの余韻と先ほどまでの体温がなくなっていくことに淋しさを感じながらも、素直じゃない彼女の本心の欠片を垣間見たことに思わず口元が緩んだ。
盃に映った月だけが、彼女の本質を暴くことができるのかもしれない。
きっと、また、月が綺麗な夜に、俺は瀬那を晩酌に誘うだろう。
そして、元の世界を思い出さなくて済むほどに、何度でも愛してやろう。
俺だけに甘えればいいのだ。
そう結論付けて、盃を月と共にあおり飲み込んだ。
(了)