爆乳政治!! 美少女グラビアイドル総理の瀬戸内海戦記☆西海篇
第7章 山口 最期の日
飯田県令・赤根議長のタイミングが良過ぎる死亡事件と、杉県令の擁立に、宇喜多派による陰謀の存在は明白であり、これに反発した現地の陸軍大尉・吉見一太は、九州鎮台の一部から支援を受け下関でクーデターを起こし、瀬戸内海・防予諸島の屋代島(周防大島)占領に至った。これに対して、杉県令から救援要請を受けた宇喜多都督は、岡山の第三歩兵旅団を屋代島に派遣した。この「大島事変」によって、九州鎮台と畿内・山陽軍閥は遂に開戦。吉野首相は一連の計画を知らなかったが、この展開を待っていた軍部に押され西海州政府は宣戦布告、中國地方に対する経略の足掛かりとして屋代島を制圧した。長州戦争、そして瀬戸内海を巡(めぐ)る「西海戦争」の夜明け。
大島攻防戦の後、小倉逆強襲を受け小倉の戦いが勃発。また、琉球米軍に支援された在沖縄訓練兵が、赤十字を装って四国に上陸、大島方面の増援も動員される。一方で、山陽軍の大島奪回作戦「回天」は失敗に終わり、劣勢に怒り狂った博忠発(海軍中校)と畿内海軍令部は、事実上の「無制限潜水艦作戦」(無差別攻撃)に走った。日本帝国は、この戦術を畿内軍閥による戦争犯罪と判断し、北太平洋の天皇海山(北西太平洋海底山脈)に建造された、対小惑星隕石砲(Anti Asteroid Meteorite Cannon)「イザナミ」を軍事転用させる結果となる。戦禍が拡大する中、他方では教会などの平和活動もあり、神戸の生田兵庫や、伊勢の斎宮星見は、蘭木訓らと共に、十三宮聖(伊豆守)・津島長政(三河守)に保護された。須崎グラティア優和らを派遣したのも、十三宮聖である。