爆乳政治!! 美少女グラビアイドル総理の瀬戸内海戦記☆西海篇
第7章 山口 最期の日
出雲介の没落を止める事はできず、境港も攻め落とされ、山陰道の戦線維持は困難な情況になった。更に光復7年、南播磨地震(坂神淡路大震災)が発生し、大坂(阪)・神戸という双方の軍事拠点が壊滅した結果、和平の機運が高まり、宇喜多清真は近衛秀保と交渉し、領土保全を条件に畿内軍閥への服属を決断した。出雲介の降伏にも尽力した宇喜多清真は、貢献を評価され、中國地方の軍政を管轄する太政官・大都督に任命され、出雲介に仕えていた山路兵介・松田清保らも、都督府の指揮下に配属された。近衛和泉は、震災による犠牲者の魂魄を慰霊するため、比叡山に出家して「方広院」と改名したが、その後も関西の政局に影響力を及ぼし続けた。
吉野首相は、吉野五人衆と兵站課長・松本國香の補佐で、比較的順調に九州を統治していた。グラビアイドルとして業界を知り尽くした彼女は、有権者の人心掌握に長けていたが、政権の長期化に伴って、バラ撒き福祉などのポピュリズム傾向も顕著になっていた。五人衆の内部でも、首相支持派の小倉秀幸(こくら ひでゆき)・村中孝作(むらなか こうさく)と、不満を抱く江上慶也・波佐見則貫・飯塚徳一(いいづか のりかず)が対立した。光復15年、アメリカ連邦とイングランド(England)帝国(英国)は、大量破壊兵器査察と独裁政権打倒のため、西アジアのクルジスタン(Kurdistan)共和国を攻撃した。米英連合軍は首都バグダードを陥落させたものの、テロリズムの頻発で占領政策は混迷を極め、多くの在日米軍が、中東への援軍に出撃する事態となった。
その結果、日本列島における米軍の抑止力が低下し、九州鎮台の内部対立を表面化させた。権力独占を狙う松本国香は、クーデター煽動を画策し、「吉野首相が、福祉予算を増額するため九州鎮台を軍縮(リストラ)し、その穴埋め担当を米軍に『枕営業(おねだり)』している」等の風説を、虚実混交で江上中佐・波佐見大佐・飯塚副官らに流布して、遂に武力反乱を起こさせる事に成功した。「光復十五年の九州政変」勃発である。江上中佐を総督(司令官)とする反乱軍は、首相を警護していた小倉秀幸・村中孝作を殺害したが、黒幕である松本兵站課長は首相・米陸軍に味方して迎撃し、波佐見・飯塚を返り討ち、江上中佐を佐賀へと転進させた。