第20章 恋知りの謌【謙信】湯治編 〜車輪〜
「そんな覚悟があるなら、さっさと祝言でも挙げたら?」
家康の淡々としながらも核心をつく質問に
「無論それは…根回ししている。」
謙信は、当然の如く答えた。
「…!!!」
椿の全身に、血の気が失せるような感覚が襲いかかった。
椿が内心青ざめていることになど誰も気づかず、一同は、草木を踏みしめ、不均一な蹄の音を鳴らしながら藪の中を進み続ける。
一度話し出した謙信は、諦めたように、続けて事情を話した。
「祝言を挙げるには…頑固な年寄りを納得させ、筋を通さねば…美蘭の、上杉での立場が悪くなるからな。今すぐには叶わぬのだ。」
「…ふうん。」
相変わらず聴こえるのは、やる気の無さそうな家康の返事。
だが、家康は内心、謙信がそれ程の覚悟を持って、それ程に深い愛情を美蘭に注いでいるという事実に、驚き、感心していた。
椿の、手綱を掴んでいる手のひらは嫌な汗に塗れた。
この戦国の世では、殆どが政略結婚であると言っていいほど、本人の意思よりもお家が優先されるのが常である。
その戦国の世の常に、謙信は真っ向から戦を仕掛けているのだ。
謙信の美蘭への深い愛情を見せつけられた椿は、何故か心臓が軋むような気持ちになった。
「わたくし…何故かわかりませんが気分が悪くなってきました。」
三成の呟きに声をかけてやれる余裕のある人間は、誰もいなかった。
「宴への招待?!それがその文の内容なのか?」
「うん。」
ひと休みしよう…と、木々がひらけた場所で、木の切り株に腰掛けながら、秀吉が目を剥いた。
「敵軍を宴に招こうなどと…いったいどういうつもりなんだ…」
手元では、テキパキと狼煙をあげる準備を進めながら、秀吉は、苛つきを隠さず呟いた。
「お披露目だって言われてたけど…きちんと別れを言えていない人もいるだろうから…って。」
「……。」
自分や光秀にきちんと別れを言えていない美蘭への配慮ということか、と
秀吉は思い、深い深いため息をついた。
どこまでも義に厚く。
美蘭に注ぐどこまでも深い愛情。
美蘭が語る謙信は、非の打ち所がない。