第20章 恋知りの謌【謙信】湯治編 〜車輪〜
謙信たちは、
西の山道への近道である藪…道無き道…を、進んでいた。
木々が生い茂り不安定な藪のなかは、馬たちも神経質になるため最新の注意を払いながら進まねばならず、これまでほぼ早駆けでやって来ていたが、ようやく速度を落としたところであった。
椿にとって庭のような藪であるとはいえ、吹田の家臣たちが先頭に立って道筋をつけてくれているため、椿は一歩下がり、謙信とほぼ並ぶような位置についていた。
「ところで…美蘭って、今日何しに来る予定だった訳?」
謙信と椿の後ろに並んでついて来ている家康と三成が話し出した。
「わたくしはわかりません。秀吉様とお約束でもなさっていたのでしょうか…。」
「…!」
三成の推測に、謙信はカッ!となった。
「秀吉と約束などしていない。この俺が、信長への文を届けるように頼んだのだ。」
たとえ話の中であっても、秀吉と美蘭が約束していたなど…考えただけで暴れ出しそうな気持ちになったのだった。
「自分の女を足軽がわりにしたってこと?」
「何だと?!」
鶴姫を抜こうとする謙信の手元を邪魔するような経路で、佐助が謙信と家康の間に馬を移動した。
「美蘭さんが、織田を訪ねる口実を作って差し上げたんですよね?謙信様。」
そして、家康の挑発に、佐助が丁寧に回答する。
「…馬鹿を申すと斬り刻むぞ。」
物騒な物言いで返した謙信だったが、佐助の言葉を本気で否定していないことは、その場の誰もが感じ取れた。
「ふうん。」
「しかしわざわざ文とは…どのようなご用だったのです?」
「帰ったらすぐ戦だ!…とか?」
「明日の夜…湯治場最後の夜に宴を開く。その招待だ。」
面倒な質問には、核心で返すのが、最も早い終わらせ方であることを知っている謙信。
「はあ?!気でも触れたわけ?!」
「ああ。触れたかも知れぬな。…だが美蘭のためだ。」
「「「 ……!!! 」」」
「貴様等に対して…いつまでも負い目を持たせたくない。」
美蘭の心の平安のために、敵軍を宴に招こうとしている軍神を、誰もが固唾を飲んで見つめたが
その色違いの瞳には、頑なな覚悟と意志が宿っていた。