第6章 ~恋と恋の、あいだ~(松川 一静)
『…いっちゃん、怒った?』
ボタンから手を離し、立ち上がった俺に
綾ちゃんが、焦った声で聞いてくる。
『怒って、』
綾ちゃんに手を差し出して。
『ねぇよ。』
掴んだ綾ちゃんの手を
ギュッと握って、引っ張り起こした。
『…怒れるわけねぇじゃん。
ま、そもそもそんな大事な場所で
誘惑すんのは止めてくれー、とは思うけど。』
『だよね…ん?誘惑したの、あたし?』
『あれ?俺だっけ(笑)
どっちでもいーけどさ、
でも俺、諦めたわけじゃねぇよ?
ここがダメなら、どこなら、いい?』
明日からのこととか、どーでもいい。
今夜は、絶対、抱く。
『俺、どこでもいい。なんなら、うち来る?』
キュッと大きく目を見開いて
綾ちゃんがブンブンと首を横に振った。
『とんでもない!そんなの、
静に対する最悪の裏切りでしょ!?
…なら、うち、来る?』
え?
『いいの?』
『びっくりするほど狭いけど…』
『全然、いい。』
『じゃ…』
綾ちゃんはソファから立ち上がり、
パンパン、と、
ブラウスとスカートを伸ばすように
自分の体を払って。
『行こっか…スマホ、取った?』
『それは大丈夫だけど、その前に、』
テーブルの上のグラスを握る。
『片付けてから、行こう。
ふたりでやれば、早いじゃん。』
『…明日、あたしがやるから、』
『大事な場所なんだろ?
俺のせいで乱すの、ヤだし。』
…なんとなく。息子側の気持ち。
自分の母親の大事な生活を、
中途半端な男に崩してほしくない。
『いっちゃん…』
『俺、洗い物する。綾ちゃん、レジ閉めて。』
『いっちゃん、オーナーみたい(笑)』
『俺も綾ちゃんの言うこときいて
ムラムラを我慢してんだから、
綾ちゃんも、俺の言うこと聞いて!』
『おぉ、厳しいなぁ(笑)』
…洗い物をしてる俺の場所から、
現金を数えてる綾ちゃんの横顔が見える。
ふと、話しかけてみた。
『…あのさ、ケイ君のケイ、どんな字?』
『息子?"慶"よ。喜び、って意味。』
『ふーん。』
喜びや幸せが満ち溢れていた時期が
確かにあった…という証拠のような名前。
気持ちが変わってしまうのは、
しょうがないことなんだろうか?