第6章 ~恋と恋の、あいだ~(松川 一静)
『…いっちゃん、1つだけ、お願いがある。』
『なに?』
綾ちゃんは、
頬に触れていた俺の手をそっと離し、
『私がこうやって目をつぶってる間に、
帰ってくれる?』
やっぱり、帰れって言うんだな。
『…でも、1人になったら、また泣くだろ?』
フフッ。
小さく笑いながら、首を横に振って。
『だーいじょぶ、泣かない、泣かない。
今、すごく満ち足りた気分だから、
鼻歌でも歌いながら店、片付けて、
帰ったらさっと寝る。
そしたら今日はきっと
いい夢見られそうな気がするもの。』
『…ほんと?』
『ほんと、ほんと。
大人はね、切り替えも早いのよ。
なにしろ、忙しいから。
ゆっくり泣く暇もないくらい。
来てくれて、ありがとう。
…もう、忘れ物、しないでね。』
目をつぶったままの顔をグッと下げ、
テーブルにくっつけて。
…授業中の居眠り、みたいだ。
スマホをポケットに押し込み、
綾ちゃんの前から立ち上がる。
『じゃ、俺、行くよ?』
『うん。気を付けてね。』
伏せたまま、
腕の中から聞こえてくる声。
『バイバイ。』
ドアまで、ゆっくり、歩く。
ドアノブに手をかけて。
開くと、カランカラン、と音がして。
出て…行かず、
ドアの中に残ったまま、
自分の気配を消すように、
そっとドアを閉めた。
カランカラン…ガチャン。
人の出入りを知らせる音の
余韻が消えていく。
静かになった時、
かわりに聞こえてきたのは、
大きなため息のような深い吐息。
それから、
たっぷりたっぷりの大きな一呼吸の後、
今度は、静かな泣き声。
その伏せたまま震える背中を
ちょっとの間、黙って見てた。
…変な言い方だけど、
大人の泣き姿って、そそる。
日頃はしっかりしてる人の
そんな姿を見られることが、
ちょっと、特別な感じ、というか。
マニアック、と言われるかもしれないけど、
俺は、処女よりよっぽど、
大人の女の方がゾクゾクする…ということを
今、自分でも初めて、知った。
胸に、1つの決意。
…"大人の理性"を、崩す。
綾ちゃんからは、
母さんに遠慮して出来ないだろうから、
俺から、迫る。
俺は確かにガキけど、
だからこそ許される、
勢いとか無鉄砲さがあるはず。
ゲームでもするような気分で、
伏せた後ろ姿に声をかけた。