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第11章 斎児ーいわいこー



「しかし晴れ乞いをするのに荒れ凪の酒が手土産とは私も安く見られたものよ。これは路六が支度したものだろう」

弥太郎に殴り付けられずにすんだことに胸を撫で下ろしたところで、吸筒を持ち上げた無理に詰まらなそうに図星を刺されて冷や汗が出た。しかも道中危なくその手土産の口を開けるところだったのだ。呑みかけの手土産など渡した日にはこの無理の麗しい顔がどれだけ恐ろしげになることか、考えるだに肝が冷える。

「…よろしければ…」

昨日弥太郎にすげなく突き返された羊羮を懐から取り出す。手土産と言われてもこれくらいしか手持ちがない。

「それか」

口角を下げた無理が眉根を寄せる。

「私はよくよく弥太郎の下りものに縁があると見える」

ばれている。これは困った。困ったが無理の言ったことが気になる。余計なものが溢れ出ぬようにぐっと真一文字に口を引き結んでいると、無理が渋い顔をした。

「口を閉じていても顔に出ているぞ。馬鹿正直な奴だな」

そんなに顔に出ていたか。情けない思いで額から頬を撫で下ろしたら、無理は脇息に頬杖してにやりと笑った。

「口に出そうと声に出そうと無論答えは無しだ」

「はあ…」

しかし皆まで聞かずとも長い年月の何処かで、無理と弥太郎の間に何かがあったのだろうことは分かった。昨日の弥太郎の痛そうな顔を思い出す。無理の言葉はあのとき感じた訝しみの答えの欠片になった。

「分かったような顔をして悦に入っているが、あまり私の気に障る真似はしない方がいいぞ。土砂降りの中山の悪路を行くのは慣れぬ者にすれば命懸けのことだろうな」

無理が心底底意地悪い声音を出すので、私は顔を俯けた。正直な顔とやらを見られぬように。

「炭も燻べて台無し、サクは地団駄踏んで怒り出そうな。あれは本当に地団駄を踏んで喚き散らす。手前に関わりがなければなかなかの見物、久し振りにサクの脹れ面を拝むのも悪くない」

地団駄…。地団駄か…。それは昨日見たばかりだ。脹れ面をしていたのは雨に濡れた紫陽花の風情の年若い佳人ではなく、赤い獣面の酒臭い河童だったが。
サクは口の悪さばかりではなく、あの面妖な怒り方まで弥太郎を見習ってしまったらしい。確かにあの気短なサクならば、怒り心頭に達したら本当に昨日の弥太郎のようになりかねない。厄介な話である。サクにまで地団駄を踏まれては居たたまれない。

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